余の貴神(あなた)に来るは、
余の清浄潔白にして愛すべきものなるが故にあらず。
余の貴神に来るは、貴神によりて満たされ、
かくして更に熱心に貴神に祈り、
更に此の世を愛し、更に貴神の聖言(みことば)と
真理とを教えられ得んがためなり。
貴神の余に要求し給ふは、貴神によりて生き、
凡ての善と慈愛と愛の原潜なる貴神を所有せんことなり。
従順、忠信、純潔はただ貴神よりのみ来る、
而して余は如何に奮闘努力するとも
之を産出すること能(あた)わず。
貴神が貴神の律法に対して従順を命じ給ふは、
我々が独力にて其を為し得るが故にあらずして、
我々が自己の無能力を意識するに至ることに依りて、
貴神の許(もと)に来たりて、貴神を所有せんがためなるなり。
貴神の我々に律法を与へ給ひしは、
其れが我々を貴神の許に伴ひ行かんがためなるなり。
されば嗚呼、主よ、余の全然たる無能力と堕落とを認むるが故に、
余は貴神の許に到りて、貴神の生命を以て満たされんとす。
余は潔からず、余は貴神に余を潔め給はんことを祈る。
余に何等の信仰あるなし、貴神が余に信仰を与へ給え。
貴神は善其自身によりて在まし給ふ、
而して貴神なくして余は全く暗黒なり。
見よ、余の汚穢(おわい)を、
貴神が余を余の咎より潔め給へ。アーメン。
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