(NYリハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩)


あなたは1997.01.22以来 番目の来場者です。



大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまづくようにと
弱さを授かった

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ

(J・ロジャー・ルーシー神父)

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 私がこの詩を知ったのは、フジテレビのニュースキャスターだった故・山川千秋氏とその夫人の著書『死は「終り」ではない』(文藝春秋刊)を読んだときでした。
 病床にありながら神様に感謝できる人はやはり神様に愛され祝福された人としかいいようがありません。
 そして、山川さんも神様に愛され祝福された人だったと思います。
 この本を読み、食道ガンの宣告を受けた山川さんが、奥さんの愛と奥さんや家族への愛によって、過酷な現実を乗り越えられたことを、そして神様の愛と神様への祈りによって、「敗北としての死」ではなく、天国の民となるための地上の訓練を終え、その資格を獲得したがゆえに、本籍地へ戻り、「新たな出発をするための死」を迎えられたことを、私は確信しました。
 現代は狂っているとしかいいようのない世の中ですが、現実にこのような夫婦が、そして愛が存在することを知り、たいへん感動しました。
 山川さんご一家に祝福がありますように。そして、一人でも多くの方がこの本を御覧になられますように。  



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