序 「イスラエル史」について



 これから何回かに分けて「イスラエル史」を述べていくが、まず日本語で読める書
について紹介しておこう。
 今まで多くの学者によって「イスラエル史」が書かれてきているが、その叙述は決
して一様ではない。それは、それぞれの学者の方法論の相違や資料の評価の相違、ま
た歴史観の相違などによる。傾向としては、ドイツの学者とアメリカの学者は大きく
違う。アメリカの学者を代表するのが、W・F・オールブライトで、『旧約聖書の時
代』(新教出版社)や『考古学とイスラエルの宗教』(日本基督教団出版局)などが
翻訳されている。そして「イスラエル史」としては、その弟子J・ブライトによる『
イスラエル史』(聖文舎)が代表作である。アメリカの学者は、聖書に書かれている
ことを大体歴史的事実としてその通り認めようとする傾向がある。そしてそれを考古
学によって裏付けようとする。
 ドイツの学者は、A・アルトが代表であるが、その弟子M・ノートが大著『イスラ
エル史』を書いた(拙訳、日本基督教団出版局)。ドイツの学者は、聖書の記事を文
献批判、伝承批判といった方法論によって厳密に検討する、という傾向にある。M・
ノートは、「旧約聖書の大部分は、民衆の歴史的諸伝承であるので、この資料を正し
く解釈するには、伝承史的方法が最も有効であろう」と言っている。彼は、旧約聖書
のテキストを、この研究方法で十分に検討した上で、歴史を再構成したのである。ド
イツの学者のものではさらに、M・メツガーの『古代イスラエル史』が訳されている
が(新地書房)、これは最近の学問的成果を取り入れ、M・ノートを批判的に継承し
たものである。
 その他、R・ドゥ・ヴォーの『イスラエル古代史』も翻訳されている(日本基督教
団出版局)。これはフランスの学者のものであって、非常に詳しいが、著者が途中で
亡くなったので、王国前までしか完成していない。これはアメリカの考古学的な成果
も十分評価し、またドイツの文献学的な成果も十分取り入れているので、ちょうど中
間的な立場である。また、ユダヤ教の立場から著された『ユダヤ民族史』というのも
翻訳されている(六興出版社)。これは六巻から成っている。我々の立場からすると
古代イスラエル史からキリスト教史へとつながっていくが、彼らの立場からすると、
当然のことながら、一貫してユダヤ教の歴史である。我々のイスラエル史に当たるの
は、その第一巻「古代篇I」で、A・マラマットとH・タドモールが書いている。 
次に、「イスラエル史」の資料の問題について触れておく。これの最も重要な資料は
旧約聖書であることは言うまでもない。ただしこれは、特殊な立場から記されたもの
であり、これをそのまま歴史の資料として使うわけにはいかないであろう。その他に
も古代オリエントの他の国々のいろいろな資料がある。イスラエルは孤立して存在し
たのではなく、絶えず周辺の世界との関係にあった(特にエジプト、アッシリア、バ
ビロニアなど)。また、考古学的な成果も助けになる。
 旧約聖書は、特殊な立場から記されてはいるが、歴史的な書である。古代イスラエ
ル人は、歴史的意識を強くもっていた民族であった。ギリシア人もそういう傾向があ
り、例えばヘロドトスはペルシア戦争のときのことを『歴史』という書物に著して「
歴史の父」と呼ばれている。これは紀元前五世紀であるが、それよりも五百年さかの
ぼる時代にイスラエルにおいて既に歴史が記述されていた。これはサムエル記下9ー
20章、列王紀上1ー2章で、一般に「ダビデの王位継承史」と言われている。この
作者は、ソロモンの宮廷人と考えられ、ダビデの王位が誰に継承されるか、という関
心から書かれた。この物語では、神は全面には出てこずに、全く世俗の出来事(ダビ
デの子たちの醜い争いが中心)のように記されているが、しかし作者は重要な所で、
「これは神の導きであった」というような論評を加えている。
 イスラエルにこのような歴史記述が生まれたのには、イスラエル人が昔から歴史意
識を強くもっていた、ということが出来る。彼らは、自分達の先祖の歴史が神に導か
れたものであった、ということを繰り返し伝えていった。これはしばしば、祭の時に
確認された。例えば、申命記26章5ー10節は、G・フォン・ラートによると初夏
の小麦刈りの収穫感謝祭の時に告白されたものであるが、ここでは神によって導かれ
た歴史(救済史)が言われている。
 五書(創世記から申命記)、あるいは六書(ヨシュア記まで)は、この救済史とい
う一本の線にそって、古い諸伝承が集められて形成されていったと思われる。M・
ノートは、『モーセ五書伝承史』(日本基督教団出版局から翻訳・出版されている)
という本において、その事情を詳細に研究している。それによると、王国成立前に五
書の基礎となるもの(略号でGと呼ばれるが)が成立しており、それには五つの主要
なテーマがあった、と言う。それは、「族長への約束」「エジプトからの導き」「荒
野での導き」「シナイでの啓示」「約束の土地の取得」である。そしてこれらは、
元々は、祭の時などに別々に伝えられていたものである。そしてそれらが次第に一つ
に結合されていったのである。先程の申命記26章の告白においては、このうち「族
長への約束」「エジプトからの導き」「土地取得」の三つのテーマが言われている。
 この時代はしかし、歴史的な記録を残すという鮮明な意図はなかったので、それに
よって直ちに歴史を再構成するということは困難である。
 しかし、王国が成立すると歴史作品が生まれた。さきほどの「ダビデ王位継承史」
の他にも「ダビデの台頭史」(サムエル記上16・14ーサムエル記下5章25節)
もある。これは、ダビデがどのようにして王に昇進していったか、という関心から書
かれたものである。また、「申命記的歴史作品」と呼ばれているものがある。これは
M・ノートが提唱したものであるが(『旧約聖書の歴史文学』として日本基督教団出
版局から翻訳・出版されている)、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王紀が、捕
囚時代の一歴史家によってまとめられたものである、という説である。これが「申命
記的」と言われているのは、この歴史家が申命記的な思想をもって歴史を編集したか
らである。これは本当の歴史作品と言える。ただ何が何年にどこで起こったという記
録は歴史ではなく年代記である。このようなものは、エジプトやアッシリアやバビロ
ニアにもあった。その出来事がどうして起こったのか、原因・結果を尋ね、その出来
事を評価する。ここに歴史観や思想、哲学、信仰といったものが入るのである。申命
記的歴史家は、イスラエルのカナン侵入からイスラエルの王国滅亡までの歴史を扱っ
ている。彼自身が、紀元前587年のバビロニア軍によるエルサレム陥落を経験して
いる。そして神の民イスラエルが何故このような悲惨な結果になったのか、というこ
とを問題にしている。彼の歴史観は五書のような救済史とは違っている。むしろ、イ
スラエルの歴史を罪の歴史と捉え、そのために神に裁かれた歴史と捉えている。それ
は、イスラエルの民が神に救済されたにもかかわらず、神の契約を破り、戒めに背い
たからである。その最も大きな罪は、不信仰、すなわちイスラエルを導いたヤハウ
ェに頼らずに他の神々に頼って偶像礼拝を行い、他の大国の軍事力に頼ったことであ
る(列王紀下17・7ー8参照)。そのような視点から、申命記的歴史家は、特にイ
スラエルの諸王を批判している。
 旧約聖書には、もう一つの歴史作品として「歴代志家の歴史作品」(歴代志、エズ
ラ記、ネヘミヤ記)があるが、これは申命記的歴史作品を主要な資料として用い、祭
司的な立場から編集されたものである。ただし、捕囚後の時代に関しては独自の素材
を用いており、歴史の資料として役に立つ。
 その後の時代の資料は、ほとんどなく、歴史を解明するのが難しいが、紀元前2世
紀に至って、再び相当詳しい歴史資料がある。それは旧約外典に入れられている二つ
の「マカベア書」である。これは幸い、新共同訳聖書の旧約聖書続編に入れられてい
る(マカバイ記一、マカバイ記二)。これは、シリアによってイスラエルの伝統的な
ヤハウェ礼拝が迫害にあった時代、マカベア家の者が中心となってそれに抵抗した記事
である。なお、ダニエル書は、その迫害の中で書かれたものである。
 さらにその後の時代になると、ヨセフスの『ユダヤ古代誌』が貴重な歴史資料であ
る。これは特に、紀元前1世紀から紀元73年までの歴史情報としてはかなり正確な
ものとされている。
 さて、イスラエル史は、これらの資料を十分に吟味した上で再構成される訳である
が、歴史家によって、その資料の評価も違い、立場の違いもあり、叙述内容はかなり
違っている。M・ノートは、出来るだけ客観的な歴史を叙述しようとしても、それは
必然的に「主観的」にならざるを得ない、とも言っている。彼は、最終的には、「イ
スラエル史の資料は、旧約聖書の証言のみである」と言っている。さらに、「旧約聖
書は、全世界の主としての神が、それによって地のすべてのやからが祝福される道具
として、一つの民族を用いた[創世記12・3]と述べているのである。この証言が
存在するということが、まず第一に歴史的な事実であり、これもイスラエル史に属す
る」と言っている。従って、この証言者の意図を十分念頭に入れて叙述するのが「イ
スラエル史」の適切なやり方であろう。