使徒行伝15章1ー35節

「エルサレム会議」



 使徒行伝15章の記事は、一般に「エルサレム会議」あるいは「使徒会議」と
言われています。これは最初の教会会議と言うことが出来ます。教会は、昔から、
重要なことを会議を開いて決めてきました。これは、教会の一つの伝統と言って
いいでしょう。現在の私達のそれぞれの教会においても、年一回「教会総会」を
開くことになっています。また日本キリスト教団では、年一回「教区総会」を、
2年に一回「教団総会」を開いています。また、世界的な規模でも、WCCに
よる世界教会会議が時々開かれています。
 キリスト教の歴史において、重要な会議と言えば、325年のニカイア総会議
や451年のカルケドン総会議などが有名であり、このような総会議において、
キリスト論や3位一体論など重要な教義が決められました。このような会議は、
定期的に行われていたのではなくて、何か問題が起こった時に議員が招集されて、
問題の解決が図られたのです。
 さて、この最初の教会会議である「エルサレム会議」では、何が問題であった
のでしょうか。

  さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、
    モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説い
  ていた。そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と
  争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに
  上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。 
                                         (1ー2節)
パウロは、シリアのアンテオケの教会で活動していました。前回お話しした第
一伝道旅行は、このアンテオケの教会から遣わされたのでした。こ
のアンテオケの教会には、異邦人の信者も沢山いました。そして、この教会の指
導者であったパウロやバルナバは、異邦人にただキリストの贖いを信じる信仰
によってのみ救われることを説き、人々はその福音を受け入れて洗礼を受けまし
た。
 ところが、ある時、エルサレムからユダヤ人のキリスト者がやってきて、異邦
人も割礼などユダヤ人の律法を守らなければ救われない、と主張したのです。こ
れらの人々は、5節にあるパリサイ派からキリスト教信者になった人たちであっ
たと思われます。ユダヤ教の中でも、パリサイ派の人は、特に律法を重んじる
グループでした。パリサイ人は、イエスともしばしば律法のことでぶつかりまし
た。こういう律法を重んじるユダヤ人は、他の教会にも行って、そういうことを
人々に主張しました。ガラテヤの教会は、そういう人によって掻き乱されたとい
うことが、ガラテヤ人への手紙に言われています。
 アンテオケの教会にもそういう人が入り込んで、相当掻き乱されたようです。
そこで、パウロは、この問題をエルサレム教会の指導者と協議して、決着させ
たいと思ったのです。
 アンテオケの教会の代表は、パウロとバルナバ、それに数人の者、と言われ
ています。ガラテヤ人への手紙を見ますと、テトスというギリシア人を連れて行
った、とあります。これは、パウロの立場を示すために敢えて割礼を受けてい
ない人を連れていったのでした。
 一方、エルサレム教会の代表は、使徒たちと長老たちです。使徒というのは
、イエスの直弟子の12人です。ただし、イスカリオテ7のユダが使徒から脱
落したので、その代わりにマッテヤという人が選ばれたことは、1章に記され
ていました。また、ゼベダイの子ヤコブは、アグリッパ一世によって殺されて
いました(12・2)。さらに、ペテロは、既にエルサレム教会からは去って
いました(12・17)。ところが、ペテロは、このエルサレム会議に出席し
ています(15・7)。これは、恐らく、この頃小アジアのどこかで伝道して
いたペテロを、アンテオケの教会が要請して、この会議に出席してもらったの
ではないかと思います。使徒行伝では、ペテロが、アンテオケ教会の立場を主
張しています。そして、「長老」の代表はイエスの兄弟ヤコブでした。
 さて、この会議の成り行きはどうであったでしょうか。7節に「激しい争論が
あった」とあります。それは、5節にある「パリサイ派から」キリスト教の信者
になった人とパウロとの論争であったでしょう。パリサイ派からキリスト教の
信者になった人々の主張は、5節にある通りです。

  ところが、パリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、「異邦
  人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張し
  た。

特に、パウロが連れて行ったテトスは、ギリシア人でありましたので、当然割
礼を受けていなかったのですが、恐らく彼らは、まず、テトスが割礼を受ける
ことを主張したと思われます。もっともガラテヤ人への手紙では、パウロはテ
トスに割礼が強制されなかった、と言っていますが(2・3)、これは会議の
結果であって、最初はエルサレムの教会の代表者は、これを主張したと思われま
す。
 これに対して、パウロがどんな主張をしたかは使徒行伝には言われていません
が、ガラテヤ人への手紙などから想像がつきます。

  わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人で
  はありません。けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリ
  ストへの信仰によって義とされたと知って、わたしたちもキリスト・イ
  エスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によ
  って義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だ
  れ一人として義とされないからです。(ガラテヤ2・15ー16、新共同訳)

これが、パウロの中心思想です。そして、パウロは、この点に関して一歩も譲
りませんでした。そして、結局、テトスに割礼を受けさせるべきだというエル
サレム教会の人々の主張は退けられたようです。しかし、これには、かつての
エルサレム教会の中心人物ペテロの発言が大きな影響力を持ったようです。
 先程も言いましたように、ペテロはこの頃既にエルサレム教会を去って、小ア
ジアの各地方を巡回しながら、主にユダヤ人にキリストの福音を伝えていま
した。そして、エルサレム会議に臨む際に、アンテオケの教会の人がペテロに
この会議に出席するように要請したのではないかと思われます。そこで、ペテ
ロは、アンテオケの教会の主張を代弁するような発言をしています。

  激しい争論があった後、ペテロが立って言った、「兄弟たちよ、ご承知
  のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、
  神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのである。
                              (7節)
ペテロも異邦人伝道をしました。しかし、彼は最初、異邦人は、神の民ではな
く、汚れている、という偏見を持っていました。しかし、カイザリヤにおいて
コルネリオという百卒長にバプテスマを授ける時、夢によって、異邦人は汚れ
ているという偏見を打ち破られました(10・28)。ペテロは、エルサレム
会議において、この時の経験を話しているのです。

  そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜ったと同様に
  彼らにも賜って、彼らに対してあかしをなし、また、その信仰によって
  彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさ
  らなかった。                    (8ー9節)

「神は人の心をご存じである」というのは、初代教会の信仰でした。ユダが欠
けたために使徒を補充した時、人々は2人の候補者を立てて、「すべての人の
心をご存じである主よ。この2人のうちのどちらかを選んで下さい」と祈りま
した(1・24)。また、主イエスは、山上の説教で、「あなたがたの父なる
神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである」と言わ
れました(マタイ6・8)。また、ルカは、神は私達に必要なものは、必ず与
えてくださる、ということを言う時、次のように言っています。

  このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈
  り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る
  者に聖霊を下さらないことがあろうか」。      (11・13)

ここで、ルカは、最も良い贈り物のことを、「聖霊」と言っています。そし
て、ペテロはエルサレム会議で、この神による最も良い贈り物は、ユダヤ人だ
けに与えられたのでなく、異邦人にも与えられた、と言います。そして、ペテ
ロは、ユダヤ人も異邦人もなんらの別け隔てはない、と言います。これはアン
テオケ教会の立場です。「それはイエス・キリストを信じる信仰による神の義
であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別も
ない」(ローマ人3・22)。
 神は、この清めを異邦人の心に行われました。心が神に清められることこ
そ、真実の清めを生み出すものであります。それゆえ、異邦人には、律法に従っ
た外面的な清めはもはや必要ないのです。異邦人は、この神の恵みをただ信じる
だけでいいのです。

  しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれ
  なかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。(10節)

ここで、「くびき」と言われているのは、律法のことです。律法はまさに、く
びきのごとく、人々を締め付けるのです。ここでペテロは、われわれの先祖、
すなわちイスラエル人も、実は律法を守ることは出来なかった、と言っていま
す。「義人はいない、ひとりもいない」です(ローマ人3・10)。自分たち
にさえ出来なかったことを、異邦人にも強要するのは、間違っている、とペテ
ロは言うのです。

  確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じる
  が、彼らとても同様である」。             (11節)

そういう律法のわざによって救われるのではなく、ただ主イエス・キリストの
恵みによって救われるのです。これは、パウロも主張したことですし、また、
宗教改革者たちも主張したことです。宗教改革者たちは、中世のカトリック教
会の功績主義に対してソラ・グラティア(恵みのみ)を主張しました。
 さて、最初の教会会議である「エルサレム会議」において、パウロたちの主張
したことが大体認められました。そして、パウロは異邦人伝道者として公式に認
められました。これは非常に重要な決定だったと思います。これによって、キリ
スト教は、ユダヤ人の民族宗教の域を出て、広く世界宗教として広まることが出
来たからです。もし、エルサレム会議で、パウロたちの主張が通らずに、異邦人
にも律法を守ることが義務づけられたなら、キリスト教は全世界に広まらな
かったかも知れません。私達も、もし、割礼やいろいろな律法を守らなければな
らないとしたら、恐らくそのような信仰は受け入れることが出来なかったでしょ
う。
 このエルサレム会議は、律法の行いによらず、イエス・キリストの恵みを心よ
り信じることによって救いに入れられることが確認されたことで、非常に重要な
会議でありました。