さわやかメール・4号 |
摂食障害とは? 食べない人、食べ過ぎる人、そし病気とまでいかないがストレスを解消するための気晴らし食いの三つに分類する。 思春期の女性に発症する場合が多く、いろんな問題があるがこころの問題が大きい。 拒食症の歴史 女性が食べなくて死んだのは、現在だけではなく昔、欧州で宗教的に修行という形で断食し亡くなった。修道院では禁欲・奉仕・活発に活動するという自己統制が徳とされ栄養失調で死ぬと聖人として祭られた。日本では元禄時代の文献に、良家の20人の子女が不食病であえて治療せず治したと残っている。 19世紀に欧米に広まり、日本ではここ20年前から増えてきた。 拒食症の特徴 一人一人みな違う。あえて言うならば@食べないことだけでなく睡眠が少なく楽をすることがいけないと思っているAやせても極めて元気で、するべきことに熱中するB治療・援助拒否など、つまり自己統制があげられる。これでは修道院の徳と同じである。 共通の性格としては、適当にすることができない完璧主義。何かにとりつかれているようであり、それをしていると実際には苦しいだろうに充実感・至福感を味わっているようだ。 援助のポイント 『食べない』ことを止めるのは、彼女らにとってはイヤなこと。「気分が良いらしいナァ」と同調する立場と、「イヤなのはわかっているが医者としては許せない」という両方の立場の形にすると受け入れてくれる。食べないから死の危険を通り抜ける覚悟が必要。拒食の人はいつか食べ出す。これは心と体がつながってきた自然経過で、いつかはおさまる。過食に走る不安は、「大丈夫」と言って支えてやり、過食はやめなさいと言わないこと。 摂食障害の生きづらさ これは人間の本能に反する断食をし、死の方向に向かわしめるものである。宗教的で自分の存在の意味が分からない、生きている意味がわからないという根本的な問題でもある。 女性としての自己確立が求められる。
三人の方が発表されました。今回は松永幸子氏が発表された、富山市民病院で内観療法をどのように取り入れているかをまとめました。 経 緯 故吉本伊信先生のもとで前部長であった草野亮先生が内観体験され、昭和60年ごろアルコール依存症(ア症)の治療に取り入れたのが最初で現在にいたっている。 対象者 毎週水曜日に一日内観として、朝9時から5時まで内観をおこなっている。ア症だけでもなく心身症・うつ病・神経症の患者さんにも内観療法を問診のときに勧めている。 ア症の変化 週1回、退院まで8回受けることによってプラス思考の言葉になり、表情が柔らかく態度も変ってきた。例えば、怒りっぽかったものが丁寧になったり待つことが出来るようになったりしている。 退院後の指導 日常内観の指導をし、書くことの好きな人には日記を内観的に書かせたり、時間がないという人には、時間は自分で作るものだからわずかな時間の中で自分なりに内観してはと促している。 退院後の状況 さわやか会や断酒会・自助グループに継続的に参加している人は断酒率が高いようだ。 考 察 自分の醜いこころを見たくないのは防衛規制であり、さらに、醜いこころを認めようとしないのは否認ではないか。否認が病気をおこす根源であり、内観はかたくなな否認の扉をあけ癒してくれる方法ではないだろうか。 |
Q 故吉本伊信先生の10回忌という記念すべきさわやか会だったと聞きました。どのような方だったのでしょうか ? A 大正5年、浄土真宗の篤信家の4人兄弟の三男として生まれる。「信あるか無いか、その日その日の日暮しに問え」と聞いて育ち、内観の前身『身調べ』によって21歳で一念にあう。身調べ から宗教色を払拭して「内観」と改める。内観普及の資金を得るために実業界に入り、38才で引退。 60才頃より、マスコミで盛んに取り上げられ、年間千人をこす内観者が訪れた。 創始者と言われることを嫌い、自分は「内観法のチンドン屋」と自称。 年中無休で、内観者と共に寝起きする生活を終生送った。 昭和63年永眠。 |