ウェストレイクとドートマンダー
(ドナルド・E・ウェストレイク『泥棒が1ダース』解説)
ドナルド・E・ウェストレイクが二〇〇八年十二月三十一日、休暇先のメキシコで大晦日のディナーに向かう途中、心臓発作で亡くなったことは、まだ記憶に新しい。
ということで、七十五歳で亡くなった本書の作者ドナルド・エドウィン・ウェストレイクについて簡潔に紹介しよう。一九三三年七月十二日、ニューヨーク市ブルックリン区で生まれ、ヨンカーズやニューヨーク州都オルバニーで育った。ニューヨーク北部の小さな大学に通ったが、途中で空軍に入隊して、ドイツに駐留したことがある。除隊後、ハーパー・カレッジ(現在の州立大学ビンガムトン校)に転校するが、五七年、三年生で大学を中退した(しかし、九六年にビンガムトン校より名誉博士号を授かった)。
五七年にネドラ・ヘンダースンと結婚し、女優志望のネドラ(一番目の妻)と一緒にニューヨークに移り、〈スコット・メレディス文芸代理店〉で閲読係として六カ月働いた。二十歳前後からミステリ雑誌やSF雑誌に短篇を投稿しながら、ミステリ長篇も書き始めた。六〇年に初めての長編小説『やとわれた男』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を発表し、「ダシール・ハメットの再来」と評されたり、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)よりエドガー賞処女長篇賞にノミネートされたりして、将来を期待された。六二年には、自分が編集者として働くミステリ小説誌《ミステリ・ダイジェスト》で使っていたリチャード・スタークというペンネームで悪党パーカーものの一作目『人狩り』(ハヤカワ・ミステリ文庫)をペイパーバック・オリジナルで発表し、六六年にはタッカー・コウ名義で元刑事ミッチ・トビンもの一作目『刑事くずれ』(ハヤカワ・ミステリ)を発表した。このシリーズ全五作で献辞を贈られたのは二番目の妻サンドラだった。
六〇年代にウェストレイクは本名のほか、リチャード・スタークやタッカー・コウ、カート・クラークなどのペンネームを使いながら、いろいろなジャンルで数多くの長篇や短篇を発表しながら、アラン・マーシャルやエドウィン・ウェストというペンネームも使ってソフトコア・ポルノを書いて、生計を立てていたのだ。六〇年代がウェストレイクの一番多作な年代だった。
MWAからはエドガー賞を三度受賞した。六七年刊の『我輩はカモである』(ハヤカワ・ミステリ文庫)でエドガー賞長篇賞を、《プレイボーイ》八九年八月号掲載の「悪党どもが多すぎる」(本書収録)で短篇賞を、そして、九〇年公開の映画《グリフターズ/詐欺師たち》(原作はジム・トンプスン)で最優秀脚本賞を受賞した。そのほか、九三年にはグランドマスター賞(巨匠賞)を受賞した。
二〇〇九年七月刊のドートマンダーもの長篇十四作目 Get Real が遺作になるが、同じく七月にスターク名義の『人狩り』をダーウィン・クックが劇画化した Parker: The Hunter が刊行された。少なくとも、あと二作(『逃亡の顔』『犯罪組織』)が一〇年と一一年に劇画化される予定。そして、悪党パーカーものをシカゴ大学出版局が一作目から最終作まで徐々に再刊している(大学出版局がミステリを刊行すること自体が珍しいのである)。最新のグッド・ニュースは六〇年代に書いた未刊の“実存主義的”ミステリ Memory がついに二〇一〇年四月に〈ハード・ケイス・クライム〉よりペイパーバック・オリジナルで出版されることだ。
晩年はニューヨーク市マンハッタン区のブリーカー・ストリートにビルディングを持ちながら、ニューヨーク州中部のギャラティンという村に三番目の妻アビーと一緒に住んでいた。
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ウェストレイクは十代のときからアール・スタンリー・ガードナーの小説を図書館で借りて読んでいたし、十五歳からはSF小説も読んでいて、将来は作家になるつもりで、ミステリ雑誌やSF雑誌に短篇を投稿していた。
初めて売れた作品(短篇)はSF雑誌《ユニヴァース》五四年十一月号掲載の Or Give Me Death で、二番目に売れたのがたぶん《オリジナル・サイエンス・フィクション・ストーリーズ》五八年三月号掲載の Fluorocarbons Are Here to Stay! で、三番目に売れたのが男性雑誌《ローグ》五七年七月号掲載の The Blonde Lieutenant だった(売れた年月と発表された年月は異なることがある)。初めて売れたミステリ短篇は《マンハント》五八年 一月号掲載の「生と死の間」(日本語版六二年5月号訳載)だろう。
五〇年代後半から《ミステリ・ダイジェスト》のほか、《ヒッチコック・マガジン》や《ギルティー》などにミステリ短篇を、《フューチャー》や《アナログ》、《アメイジング》、《イフ》、《ギャラクシー》などにSF短篇を発表していた。そして、大事件が起こった。
六〇年代初頭に、SF/コミックのファンジン Xero(ズィーロ、略してXとも呼ばれる)に、ウェストレイクがSF界への訣別状を投稿したのだ。当時、SF界が低迷している頃で、SF小説を書いていても、プロの作家は生活ができないという主旨だが、当時の大御所ジョン・W・キャンベル(《アナログ》編集長)を「自惚れ屋」とぼろくそに非難し、ほかの有力な編集人たちを「能無し」とけなした。「SFは芸術的分野でも商業的分野でもない」と主張し、SFを捨てて、ミステリ小説を主に書き始めた。これだけSF界の有力者たちを怒らせたのだが、じつはその後もSF小説を発表している。ミステリ界で有名になったウェストレイクがSFと「訣別」したことを嘆くSF評論家やSF作家たちも少数ながら存在する。
ウェストレイクは短篇にも長けていて、エドガー賞を受賞したことはさっきも書いたとおりであり、短篇集も数冊出している。
最初の短篇集 The Curious Facts Preceding My Execution and Other Stories は彼が作家デビューして、なんと十五年もたたない一九六八年に刊行された。五九年から六七年までに発表した短篇十四篇とオリジナル作品一篇を収録している。
七八年に小鷹信光氏が日本で独自に編纂した『ウェストレイクの犯罪学講座』(ハヤカワ・ミステリ文庫)には五九年から六七年までに発表した十三篇が収録されている。前出の Curious との重複作品は五篇。
八四年刊の Levin はニューヨーク市警の老刑事エイブ・レヴィンもの中短篇六篇を集めたもので、一篇目の「奇妙な告白」から四篇まで《ヒッチコック・マガジン》に掲載され、五篇目の異色作「ろくでなしの死」は《マイク・シェイン・ミステリ・マガジン》に掲載された。そして、中短編集を出すに当たって、ずっとウェストレイクが暖めていたプロットで六篇目の最終篇「レヴィン最後の事件」(エドガー賞候補作)が加えられた。
八九年刊の Tomorrow's Crimes は六一年から八四年までに発表したSFミステリ短篇九篇と、六七年にカート・クラーク名義で発表した短いSFアクション長篇 Anarchaos を収録したもの。
九九年刊の A Good Story and Other Stories は六八年刊の Curious 収録の十篇と、五八年発表の単行本未収録作品一篇と、八四年以後に発表された比較的新しい作品七篇を収録したもの。
そして、二〇〇四年に本書 Thieves' Dozen が刊行された。このドートマンダーもの短篇集の初版はソフトカヴァーである(内容については後出のチェックリストを参照)。その数カ月後にはドートマンダーもの長篇十一作目 The Road to Ruin も刊行された。
中短篇におけるウェストレイクの遺作は、エド・マクベイン編纂の中篇アンソロジー Transgressions (2005) に寄稿したドートマンダーものの中篇「金は金なり」(創元推理文庫『十の罪業RED』収録)である。
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一九六七年のこと、ウェストレイクはリチャード・スタークに変装して、悪党パーカーものの次作の構想を練っていた。同じ物を何度も盗むという設定は面白そうだが、パーカーなら腹を立てるだろう。コミカルな強奪小説用の新しい主人公を作り出さなければならない。しかし、このコミカルな強奪小説 The Habitual Crime(常習犯罪)の主人公にふさわしい名前がなかなか思いつかない。そんなとき、ウェストレイクがふとはいったバーのカウンターの背後にビールのネオン・サインがあった。
《DAB----ドルトムンダー・アクティエン・ビール》
それを見て、主人公の名前を思いついたのである。ドルトムンダーはドイツのドルトムント市で醸造されるビールのことで、日本では「ドルト」と呼ばれることもある。Dormunder を英語読みすると、ドートマンダーになる。偶然にも、don't murder(殺すな)のアナグラムでもある。
ウェストレイクは The Habitual Crime を書き始めたが、三度目の強奪を書いたあとで失敗作だと考えたため、中断して、未完成小説を引き出しにしまった。二年後、室内を改装中にその小説原稿を見つけて、読み始め、中断したあとの続きが知りたいので、また書き始めたのだ。その作品が七〇年刊の『ホット・ロック』(角川文庫)であり、その時点では、単発の小説のはずだった。ちなみに、楽屋オチ(ウェストレイキシズム)は、原書において、結末でアラン・グリーンウッドがアラン・グロフィールドに改名することだ。悪党パーカーの強盗仲間である俳優強盗アラン・グロフィールドとは同姓同名の別人かもしれないし、悪党パーカー版だったらグロフィールドが演じていた役どころだろう。
当時、ウェストレイクはニュージャージー州の農家とニューヨークのアパートメントを車で毎週往復していたが、ニュージャージー州のとある銀行が新しい支店を建てているあいだ、トレイラーの仮店舗で営業していた。それで、誰かがトレイラーごと銀行自体を盗むべきだと思った。そのとき、助手席にすわっていた二番目の妻サンドラがこう言った。ドートマンダーに盗ませるべきだわ、と。それが七二年刊の『強盗プロフェッショナル』(角川文庫)であり、ドートマンダーがシリーズ・キャラクターになったのである。
しかも、七二年には一作目『ホット・ロック』がピーター・イェーツ監督、ウィリアム・ゴールドマン脚色で映画化された。ドートマンダー役はロバート・レッドフォードが演じた。『強盗プロフェッショナル』の映画版《悪の天才たち/銀行略奪大作戦》(日本ではTV放映のみ)は七四年に公開され、ジョージ・C・スコットが“ウォルター・アップジョン・バランタイン”に扮した。七四年刊の『ジミー・ザ・キッド』(角川文庫)の映画版は八三年に公開され(日本では劇場未公開)、ポール・ルマットが“ジョン”役を演じた。八三年刊の『逃げだした秘宝』(ミステリアス・プレス文庫)の映画版《ホワイ・ミー》(八九年公開)ではクリストファー・ランバートが“ガス・カーディナル”役を、九六年刊の『最高の悪運』(ミステリアス・プレス文庫)の映画版《ビッグ・マネー》(TV放映)では黒人俳優マーティン・ローレンスが“ケヴィン・キャファリー”に扮した。ちなみに、バランタインやカーディナル、キャファリーというのは、ビールの銘柄である。
野暮は承知だが、本書に収録されている一篇について解説させていただきたい。「泥棒はカモである」は、ミステリ専門書店〈ミステリアス・ブックショップ〉の店主でもあるオットー・ペンズラーが顧客に配布するクリスマス用贈答小冊子のためにウェストレイクが書いた作品である。作品に登場する作家はローレンス・ブロック(通称ラリー)とジャスティン・スコット、登場しない作家はドナルド・ウェストレイク(通称ドン)である。そのほか、当時のミステリ・ファンジン《ジ・アームチェア・ディテクティヴ》初代編集長アレン・J・ヒュービン(通称アル)や当時のウェストレイクの文芸代理人ヘンリー・モリスンもポーカーに加わっている。ちなみに、ペンズラーの書店は当時の西五十六丁目からダウンタウンのウォーレン・ストリートに移転した。
最後にドートマンダーものの中短篇リストと長篇リストを挙げておこう。
[註=チェックリストを見たい方は、現物の巻末を参照してください。]
二〇〇九年七月
これは木村二郎名義で翻訳したドナルド・E・ウェストレイクの『泥棒が1ダース』(ハヤカワ文庫、2009年8月刊、840円)の巻末解説であり、自称研究家の木村仁良が書いている。今後もウェストレイクのドートマンダーもの長編が出せるように、皆様方の盛大なご声援をお願いします。(ジロリンタン、2009年8月吉日)
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