本書の編集者フランシス・M・ネヴィンズ・ジュニアの「序文」を読むと、ほかに付け加えることはほとんどないので、この解説は蛇足である。
本書の原題は The Night My Friend: Stories of Crime and Suspense といい、収録作品の一つ「夜はわが友」が表題になっている。著作権年度は公式には一九九二年になっているが、じつは九一年十月にカリフォーニア州パサディナで催されたバウチャーコンにエドワード・D・ホックが来賓として招かれるというので、そのファン集会に間に合うように九一年十月に発売されたのである(原物が間違っている珍しい例の一つ)。版元はオハイオ大学出版局で、ソフトカヴァー版だけが刊行された。
オリジナルのアメリカ版には二十二編のノンシリーズ短編が収録されているが、日本版では『サム・ホーソーンの事件簿I』(創元推理文庫)に収録されている「長い墜落」を省いた二十一編が収められている。
ネヴィンズの序文は十年前の九一年に書かれたものなので、ホックの近況について付け加えておこう。評判の高かったファンジン、《ジ・アームチェア・ディテクティヴ》は五年ほど前に廃刊になったので、ホックは短編ミステリーに関する連載コラムは書いていない。ホックが編纂していた年刊ミステリー傑作選とも言うべき The Year's Best Mystery and Supense Stories の刊行を、版元のウォーカー社が九五年で打ち切った。そのあと、ホックはそのライヴァル・アンソロジーである The World's Finest Mystery and Crime Stories で巻頭ノート(物故作家リストやミステリー書誌など)を担当している。現在のアメリカ探偵作家クラブ(MWA)では理事の世代が交代し、ホックは元会長として理事会に出席するだけで、委員会では積極的に活動していない。そして、十年前に企画されたMWAメンバーによるリレー小説は、エド・マクベインやメアリ・ヒギンズ・クラークなどの大物作家の顔ぶれも揃っていたのに、出版社が見つからず、実現しないようだ。しかし、ホックは今も《エラリー・クイーンズ・ミステリー・マガジン》(EQMM)に毎号短編を発表している。
ネヴィンズが紹介した二十四のシリーズのほかに、新しく二つのシリーズが始まった。スーザン・ホルトはマンハッタンにある《メイフィールズ百貨店》のバイヤーで、イヴェント企画運営も担当するので、アメリカ国内だけではなく、アイスランドや東京などの海外にも旅行して、事件に遭遇する。The Traffic in Webs(EQMM九三年十二月中旬号掲載)で初登場して、四編目の「熱球殺人事件」が『革服の男』(光文社文庫)に収録されている。アレグザンダー・スウィフトはジョージ・ワシントン将軍直属の諜報員で、十八世紀のアメリカ独立戦争中の犯罪を解決する。The Hudson Chain(EQMM九五年九月号掲載)で初登場したが、日本では二〇〇一年六月現在まだ紹介されていない。
二〇〇一年には初期のノワール風ノンシリーズ短編二〇編を集めた個人作品集 The Night People がファイヴ・スター社より刊行される。そのあと、クリッペン&ランドルー社よりランドもの短編集 The Old Spies Club and Other Intrigues of Rand やウラドもの短編集 The Iron Angel and Other Tales of Michael Vlado が刊行される予定である。
日本では、二〇〇〇年にやっと訳出された『サム・ホーソーンの事件簿I』が『IN☆POCKET』(講談社文庫)主催の作家が選ぶ文庫翻訳ミステリーの部で第2位に、『週刊文春』主催の二〇〇〇年傑作ミステリー海外部門で第3位に、『2001本格ミステリー・ベスト10』(原書房)の海外部門で第2位に輝き、多くの実作者の方々にお誉めいただいた。二〇〇二年には、『サム・ホーソーンの事件簿2』を日本独自の編集で(といっても、十三編目から二十四編目までを並べただけ)刊行できるだろう。
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最後に、本書に収録された作品の出典を挙げておく(ただし、「長い墜落」だけは創元推理文庫刊『サム・ホーソーンの事件簿I』にボーナス作品として収録)。
1 Twilight Thunder (Alfred Hitchcock's Mystery Magazine [=AHMM] 62-1)
「黄昏の雷鳴」(新訳・改題)[初出:「音の罪」『完全殺人を買う〈海外推理傑作選I〉』松本清張編、集英社]
2 The Night My Friend (The Saint Mystery Magazine [=TSMM], British edition 62-7)
「夜はわが友」(初訳)
六〇年代前半の《ザ・セイント・ミステリー・マガジン》(TSMM)にはイギリス版とアメリカ版があり、イギリス版にしか掲載されなかったホックの作品がいくつかある。
3 The Suitcase (TSMM 62-9) パット・マクマーン名義
「スーツケース」(初訳)
妻パトリシア・マクマーンの名前にちなんだペンネームはTSMMにのみ使用された。
4 The Picnic People (AHMM 63-3)
「みんなでピクニック」(初訳)
5 Day for a Picnic (TSMM 63-11) パット・マクマーン名義
「ピクニック日和」(初訳)
6 Shattered Rainbow (AHMM 64-1)
「虹色の転職」(初訳)
7 The Patient Waiter (AHMM 64-5)
「待つ男」(初訳)
8 Too Long at the Fair (AHMM 64-10)
「雪の遊園地」(初訳)
9 Winter Run (AHMM 65-1)
「冬の逃避行」(初訳)
映像版は六十分番組『ヒッチコック・サスペンス』で六五年五月十日に Off Season というタイトルで放映された(この番組最後のエピソードだった)。監督はウィリアム・フリードキン、脚色はロバート・ブロック、ジョニー役はジョン・ギャヴィン。
10 The Long Way Down (AHMM 65-2)
「長い墜落」(新訳)[この作品のみ、創元推理文庫刊『サム・ホーソーンの事件簿I』にボーナス作品として収録]
11 Dreaming Is a Lonely Thing (AHMM 65-3)
「夢は一人で見るもの」(初訳)
12 In Some Secret Place (TSMM 65-8)
「秘密の場所」(初訳)
13 To Slay an Eagle (The Award Espionage Reader, 1965) スティーヴン・デンティンジャー名義
「標的はイーグル」(初訳)
ハンス・ステファン・サンテッスン編のスパイものペイパーバック・アンソロジーのために書き下ろした作品。このアンソロジーにはホック名義のレオポルド警部もの「孔雀天使教団」(ハヤカワ・ミステリ刊『ホックと13人の仲間たち』収録)も収められているため、この作品がデンティンジャー名義で発表されたのだろう。ところが、「孔雀天使教団」はもともとデンティンジャー名義でTSMMイギリス版六五年三月号に掲載されたのだ。そのあと、六五年十一月にこのアンソロジーが刊行され、TSMMアメリカ版六五年十二月号にホック名義で再録されたのである。
14 They Never Come Back (AHMM 66-2)
「蘇った妻」(初訳)
15 The Only Girl in His Life (Signature 66-2)
「おまえだけを」(初訳)
《シグナチャー》はダイナーズ・クラブの会員誌。
16 It Happens, Sometimes (TSMM 66-4) スティーヴン・デンティンジャー名義
「こういうこともあるさ」(初訳)
17 A Girl Like Cathy (Signature 66-10)
「キャシーに似た女」(初訳)
この作品はニック・ヴェルヴェットものと少し似ている。ヴェルヴェットもの一編目「斑の虎」(EQMM六六年九月号掲載、ハヤカワ・ミステリ刊『怪盗ニック登場』収録)に、ニックは「中世美術館からは……盗んだ」という箇所がある。それに、ヴェルヴェットもの十六編目「マフィアの虎猫」(ハヤカワ・ミステリ刊『怪盗ニックの事件簿』収録)にこの事件の後日談が語られている。この作品は六九年にオーストラリアで It Takes All Kinds というタイトルで映画化された。監督はエディー・デイヴィス、脚色はデイヴィスとチャールズ・E・サヴェッジ。トニー役はロバート・ランシング、キャシー役はヴェラ・マイルズ。
18 What's It All About? (TSMM 67-1) スティーヴン・デンティンジャー名義
「人生とは?」(初訳)
19 First Offense (Ellery Queen's Mystery Magazine 68-1) スティーヴン・デンティンジャー名義
「初犯」(初訳)
EQMMでデンティンジャー名義を使った作品はこれだけである。
20 Hawk in the Valley (AHMM 68-8)
「谷間の鷹」(初訳)
21 The Ring with the Velvet Ropes (With Malice Toward All, 1968)
「陰のチャンピオン」(初訳)
ロバート・L・フィッシュ編のMWAアンソロジーのために書き下ろした作品。映像版はロッド・サーリング監修のTV番組『ナイト・ギャラリー』で七三年一月七日に放映された。監督はジャノー・ジュヴァルチ、脚色はロバート・マルカム・ヤング。
22 Homecoming (AHMM 69-4)
「われらが母校」(初訳)
二〇〇一年六月
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