『ヴェニスを見て死ね』2011年文庫版あとがき

ヴェニスを見て死ね 単行本版著者あとがき


 短篇というものは、作品自らが語ってくれればいいのであって、作者はあれこれ語るべきではない。(田口俊樹訳)


 ローレンス・ブロックが第三傑作集『夜明けの光の中に』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の「まえがき」でそう述べている。まったく同感である。とはいえ、ジョー・ヴェニス作品集を出版するに際して、読者の方々と評論家の方々にお節介な情報を提供すべきだと感じて、野暮な「あとがき」(またの名を「まえよみ」)を付記する次第である。

 ジョー・ヴェニスの略歴については、巻頭の架空インタヴューを参照していただくとして、ここでは収録作品について手短に説明させていただこう。収録全七編のうち六編は『ミステリマガジン』に掲載されたもので、一編だけが書き下ろしである。《ミステリマガジン》掲載当時は、オアソビのつもりで、ジェイスン・ウッド名義(木村仁良訳)にした。

 第一話の表題作「ヴェニスを見て死ね」----ジョー・ヴェニスのまさにデビュー作で、掲載された九〇年二月号の表紙には、「大型新人作家の中篇」と銘打ってあり(作者の血液型が0型なので、「0型新人」の間違いかもしれない)、「ジェイスン・ウッド」の名前が表紙にも初登場した。そのときの「作品紹介」を引用しよう。


  さほど期待せずに読み始めて、すぐれた作品に出会ったときの気持ちは格別だ。ジェイスン・ウッドという初めての作家から本篇が送られてきたときも、かなり軽い気持ちで読み始めたのだが、冒頭のシーンにまず驚かされ、これはどう話が進んでいくのだろうと興味をひかれて頁をみくっているうちに、原稿用紙90枚分を一気に読まされてしまった。(中略)

 早速喜んで掲載する旨を連絡したところ、ウッド氏は礼の言葉に添えて、本名を伝えてきた。驚いたことにわれわれが知っているあるミステリ評論家の名前だったが、しばらく明かさないでほしいとのこと。今後の作品でジョー・ヴェニスの身元が次第に明らかになるにつれ、作者の身元も分かるようにかもしれないが、それまでは秘密にしておこう。


 実際は、作者が早川書房の編集部に行き、当時の《ミステリマガジン》編集長の菅野圀彦氏に直接原稿を手渡したのだが、それはともかく、「われわれが知っているあるミステリ評論家の名前」のクダリで、作者の正体を推理した方も多かった。ジェイ= J、スン= 村、ウッド= 木、という連想で当てたのだろう。とにかく派手な作品を書いてほしい、と菅野氏に言われて、八九年の秋に一週間ほどプロットを練ってから、書きあげたのだ。日本推理作家協会編の『1991推理小説代表作選集』(講談社)に収録されるにあたり、ジェイスン・ウッドの正体を明かすことになった(外国人が執筆者でもいいが、日本語で書かれた作品でなければ、収録されないからである)。

 第二話「長い失踪」----じつは、これがジョー・ヴェニスもの一編目なのだが、発表されるのが後回しになっってしまった。その理由は地味すぎるからである。この原稿を読んだ菅野氏より、「もっと派手な作品を書いてほしい」という要望があったので、パルプ・マガジン風のド派手な「ヴェニスを見て死ね」を書いたわけだ。

 第三話「過去を捨てた女」----なぜか、九〇年にはヴェニスものを三編も発表してしまった。このあたりから、自分自身のことを“ド派手な変態作家”と勝手に見なし始めたようだ(その理由は、作品を読むと、おわかりいただけるだろう)。 

 第四話「秋の絞殺魔」----当時の“ゾディアック・ガンマン事件”(ガンマンが浮浪者の星座名を尋ねてから撃ち殺した連続殺人事件)をヒントにしたのかもしれない。菅野氏の希望もあって、第三話に登場したグウェン・ハリスを再登場させることになった。

 第五話「バンバン」----主要舞台を初めてマンハッタンの外に設定し、そのために担当刑事はいつものマーク・マクレインとドン・ベンスンではなく、ブルックリン地域殺人課のアンジェラ・パランボになる。

 第六話「秘密の崇拝者」----なぜかヴェニスの登場が一年に一回になってしまった。もちろん、作者自身の責任なのだが、これは九二年夏に入院していたときに考えたプロットである。有名人にまとわりつく“ストーキング事件”が話題になっていた頃だったので、苦しまぎれに、こんな話をでっちあげたのだろう。

 第七話「ダイナマイト・ガイ」----九三年の前半に執筆したもので、日付がはっきりしている。世界貿易センター爆破事件があったのは、九三年二月二十六日のことだった。その容疑者四人は、一年後の九四年三月に有罪になっている。ストーリーの中身が地味なので、幕開けだけでも派手にしたかったのだろう。ブルックリン地域殺人課からマンハッタン・サウス署に移ったアンジェラ・パランボ警部補が再登場する。この中編を書いたあとに、サブプロットによく似た「出来事」が二件起こっているが、残念ながら、そのネタを明かすことはできない。

 ジェイムズ・M・ケインを気取るわけではないが、読者の方々が何とお考えになろうとも、ジョー・ヴェニスものはハードボイルド小説ではない。あえてレッテルを斜めに貼りつけるのなら、イギリスの作家兼批評家マイク・リプリーが名付けるところの“スクランブルド私立探偵小説”と呼んでいただければ幸いである。

 この作品集を刊行するにあたって、多くの方にお世話になった。まず、『ミステリマガジン』前編集長である菅野圀彦氏(故人)、元編集長の竹内祐一氏、元副編集長の木田康則氏、表題作の英訳を手伝って下さったディードラ佐藤女史、表題作を読んで“ブラーブ”(推薦文)を送って下さったローレンス・ブロック氏とエドワード・D・ホック氏、そして、ジョー・ヴェニスを応援して下さった読者の皆様方にジェイスン・ウッドとともに感謝したい。

木村二郎
一九九四年四月

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ローレンス・ブロック氏とエドワード・D・ホック氏から寄せられたブラーブ

「ジョー・ヴェニスはサム・スペードとフリップ・マーロウの貴重な後継者だ。マット・スカダーともうまくやってきけると思うね!」
(Joe Venice is a worthy heir to Sam Spade and Philip Marlowe. I think he and Matt Scudder would get along just fine!)
-----ローレンス・ブロック

「往年の『ブラック・マスク』の全盛期を思い出させるニューヨークの私立探偵ジョー・ヴェニスに出会えて、じつに嬉しい。これはわれわれ好みのハードボイルド・ミステリーだ!」
(It's a pleasure to meet Joe Venice, a New York private eye who recalls the glory days of the old Black Mask magazine. This is hardboiled mystery the way we like it!)
----エドワード・D・ホック

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『ヴェニスを見て死ね』初出一覧

プロローグ        早川書房刊『ヴェニスを見て死ね』(一九九四年/書き下ろし)
ヴェニスを見て死ね    《ミステリマガジン》一九九〇年二月号
             日本推理作家協会編『1991推理小説代表作選集』(講談社)に再録
長い失踪         《ミステリマガジン》一九九〇年六月号
過去を捨てた女      《ミステリマガジン》一九九〇年八月号
秋の絞殺魔        《ミステリマガジン》一九九一年三月号
バンバン         《ミステリマガジン》一九九二年四月号




これは木村二郎のジョー・ヴェニスもの短編集『ヴェニスを見て死ね』(創元推理文庫、二〇一一年十一月刊、税込714円)に再録された「単行本版著者あとがき」である。単行本版は早川書房より一九九四年に刊行された。文庫版には単行本収録7編のうち5編が収録されている。あとの2編は同時刊行の『予期せぬ来訪者』のほうに収録されている。(ジロリンタン、2012年12月吉日)

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