これでもあなたは酔いどれ映画スターになりたいか!

(ドナルド・E・ウェストレイク『聖なる怪物』解説)

聖なる怪物
 本書『聖なる怪物』(Mysterious Press, 1989)はコミック・ミステリーで定評のあるドナルド・E・ウェストレイクの作品だが、不運な泥棒ドートマンダーもの(『骨まで盗んで』ハヤカワ文庫)でもなく、ドタバタ小説(『ニューヨーク編集者物語』扶桑社文庫)でもなく、広い意味でのダーク・サスペンス小説である。 『斧』がアメリカ雇用事情を、『鉤』(いずれも文春文庫)がアメリカ出版事情を風刺しているとすれば、本書はアメリカ映画界を風刺している。本書のサブタイトルは a comedy of madness(狂気の喜劇)となっているが、「狂気」の部分は当たっているとしても、「喜劇」の部分が当たっているかどうかは読者それぞれのユーモア・センスによるだろう。

『斧』(宝島社刊『このミステリーがすごい! 2002年版』で海外編第4位)や『鉤』(『このミステリーがすごい! 2004年版』で海外編第5位、講談社刊『IN★POCKET』で総合第3位)が皆さんのお陰で好評を博したので、同じ系統の面白いダーク・サスペンス小説を文春文庫から少なくとももう一作刊行しようということになった。しかし、二〇〇〇年刊の『鉤』のあとにウェストレイクが発表した〇二年刊の Put a Lid on It と 〇三年刊の Money for Nothing はコミック・ミステリーである。というわけで、過去に溯って捜し始めると、本書が見つかったのだ。

 原題の Sacred Monster(聖なる怪物)については、主人公ジャック・パインの二番目の妻ロレインが説明をしている。「いろいろな面であなた(ジャック)は怪物、飽くことのない乳児期の表われよ。それと同時に、神聖な愚者、聖なる怪物、現実のきびしさに影響されない純真な人なの。……」(フラッシュバック 17A、一九八頁)

 つまり、「聖なる怪物」とはジャックのことであり、善と悪、聖と俗などの相反する要素を持ち合わせたような矛盾の塊を示しているのかもしれない。多才な芸術家ジャン・コクトーによると、サラ・ベルナールやジャン・マレーのような、私生活で欠点を持つ偉大な俳優のことを指すらしい。

      

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 さて、明らかに楽屋落ちと呼べる“ウェストレイキズム”が一つ見つかった。ジャックと最初の妻マーシャの住む新居を説明する箇所である。「その家は最近までホルトというTVスターが所有していたが、そのホルトは自分の主演番組が打ち切りになった途端に自殺してしまったのだ」(フラッシュバック 11、一一二頁)

 おっと、ホルトという名前をどこかで聞いたことがあるぞと気づいた方は、よほどのウェストレイク・ファンだろう。ウェストレイクはサミュエル・ホルト名義で元TVスターのサム・ホルトを主人公にした素人探偵ものを一九八六年から八九年にかけて四作発表していて、日本では一作目の『殺人シーンをもう一度』(二見文庫)だけが紹介されている。ホルトは元警官だが、テレビで犯罪学教授ジャック・パッカードを演じる俳優に転向した。その番組『パッカード』が打ち切られたあとも、ハリウッドの大邸宅で悠々自適な生活を送っているが、ときおり事件に巻き込まれるというシリーズである。このサム・ホルトがパインの新居の前所有者でないことを祈るばかりである。くしくも、ホルトもの最終作の The Fourth Dimention Is Death が刊行されたのは本書と同じ一九八九年だった。

      
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 ここで、ウェストレイクと映像媒体(映画及びテレビ)との関係について述べてみよう。インターネット・ムーヴィー・データベース(IMDb)によると、初めて映像化されたウェストレイクの作品はレヴィン刑事ものの短編「引金の手ざわり」(『ヒッチコック・マガジン』六二年二月号)で、なんとエド・マクベイン原作のTV番組『八七分署』のエピソード(六一年放映)になったのだ。

 そのあと、リチャード・スターク名義の『悪党パーカー/死者の遺産』(ハヤカワ文庫)をフランスのヌーヴェル・ヴァーグの旗手ジャン= リュック・ゴダールが『メイド・イン・USA』(六六年公開)として映画化したが、映画はほとんど原作の形跡をとどめていなかった。しかも、ゴダールが原作料を払わなかったので、ウェストレイクが裁判に持ち込み、アメリカでの上映権を取得した(ゆえに、アメリカでは上映禁止)。

 ウェストレイクの作品の中でもっとも有名な映画化作品は、スターク名義の『悪党パーカー/人狩り』(ハヤカワ文庫)をジョン・ブアマンが監督し、リー・マーヴィンが“悪党ウォーカー”役を好演した『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(六七年公開)だろう。この原作は九九年に『ペイバック』としてリメイクされ、メル・ギブソンが“悪党ポーター”に扮した。

《スクリーンライター》九四年六月号掲載のインタヴュー記事によると、七〇年にウェストレイクは製作者のエリオット・カストナーから電話を受け、映画脚本を書いてくれと依頼された。そして、『警官ギャング』(早川書房)のアイディアを考え出し、脚本を書いたのちに、自分で小説化をした。この作品がウェストレイクの初めての映画脚本なのである。小説は七二年刊だが、映画は七三年に公開された。

 このあと、ウェストレイクは映画やテレビのために脚本を書き始めた。『ホットスタッフ』はドム・デルイーズ監督・主演で七九年に公開された。八一年にウェストレイクの作家仲間で友人のブライアン・ガーフィールドが自分のプロダクション会社の税金対策として、ウェストレイクに脚本を書くように依頼してきた。ウェストレイクは八一年に脚本を書き終えたが、映画が『W』として公開されたのは八七年だった(ちなみに、この続編にウェストレイクは関与していない)。

 IMDbには挙がっていないが、ウェストレイクは七八年に Supertrain というTV番組のパイロット版の台本を書いたことがある。アメリカ大陸を超スピードで横断する超特急列車の車内を舞台にした設定で、これは失敗作だったとウェストレイク自身も認めている。

 ウェストレイクはオリジナル脚本を書いたり、他人の小説を脚色するが、自分の小説を自分で脚色しないことをモットーにしている。しかし、あるフランスの映画製作会社に説得されて、ドートマンダーものの『逃げ出した秘宝』(ミステリアス・プレス文庫)を脚色することになった。原作どおりニューヨークを舞台にした脚本を書いたのに、クリストファー・ランバート主演の『ホワイ・ミー?』(八九年公開)では西海岸のLAが舞台になってしまった。

 そのあとで、イギリス人監督スティーヴン・フリアーズがジム・トンプスン原作の『グリフターズ/詐欺師たち』(扶桑社文庫)を脚色してほしいとウェストレイクに依頼した。あまりにも暗すぎると、ウェストレイクは初めのうち断わったが、製作者マーティン・スコセッジとフリアーズと話し合った末に、脚色することにした。そして、九〇年度アカデミー脚色賞にノミネートされ、エドガー映画脚本賞を受賞した。本当はリチャード・スターク名義にしたかったが、スタークのほうはアメリカ脚本家同盟(実体は労働組合)の会員ではないので、仕方なくウェストレイク名義になったのだ。

 八七年にはラルフ・マッキナニー原作のTV番組『ダウリング神父』の脚本や、ダシール・ハメット原作のコンティネンタル・オプもの短編「蠅取り紙」のTVドラマ版『恐怖の行方』(九三年放映)の脚本を書いた。そのほか、製作はされていないが、スティーヴン・セイラー原作の探究人ゴルディアヌスもの長編や、エド・マクベイン原作の『キングの身代金』(『天国と地獄』のリメイク)を脚色した。

 最近では、パトリシア・ハイスミスのリプリーもの『贋作』(河出文庫)の映画化 Mr. Ripley's Return をウィリアム・ブレイク・ヘロンと共同脚色した。

 以上の例で、ウェストレイクがハリウッドの内幕に詳しいことがおわかりいただけただろう。最近では、スターク名義の悪党パーカーものがTV番組になるという噂も伝わってきているが、製作までには至っていないようだ。

      
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 次に、献辞を送られた五人の女性について説明しよう。五人とも映画界を舞台にした映画のヒロインである。

 エスター・ブロジェットは一九三七年公開の『スタア誕生』(五四年と七六年に再映画化)でジャネット・ゲイナー(五四年版ではジュディー・ガーランド、七六年版ではバーブラ・ストライザンド)が演じた。数人の脚本家(製作者のデイヴィッド・O・セルズニックや監督のウィリアム・ウェルマンや原案者のロバート・カーソンのほか、ドロシー・パーカーやリング・ラードナーも含まれる)は数人の実在人物をエスターのモデルにしたとされる。

 デイジー・クローヴァーは一九六五年公開のロバート・マリガン監督作品『サンセット物語』でナタリー・ウッドが演じた。デイジーがハリウッドで富と名声を得るにつれて、苦悩と悲痛も経験するという話である。  ノーマ・デズモンドはこの五人の中で一番有名だろう。一九五〇年にビリー・ワイルダーが監督した『サンセット大通り』に登場する往年の女優であり、グロリア・スワンソンが演じた。若い脚本家が年配の女優の“囲われ者”になるという話で、最近ではミュージカル化され、グレン・クローズやダイアン・キャロルがノーマ役を好演している。

 エミリー・アン・フォークナーはジョン・クロムウェル監督、パディー・チェイエフスキー脚本の The Goddess(一九五八年公開、日本未公開?)でパティー・デュークが演じ、エミリーがリタ・ショーンという芸名で映画スターになった成人役はキム・スタンリーが演じた。マリリン・モンローがエミリー/リタのモデルとされている。

 ジョージア・ロリスンは一九五二年にヴィンセント・ミネリが監督した『悪人と美女』でラナ・ターナーが演じた。ジョージアは映画会社の社長に捨てられる女優であり、その社長がジョージアや監督や脚本家との関係を通して、ハリウッドの裏話を語っていく。

 残念なことに、日本では『スタア誕生』と『サンセット大通り』しか有名ではないので、それぞれの映画と本書との類似点を見つけるのはむずかしいかもしれない。とにかく、ウェストレイクは主にこの五人の女性をモデルにしてジャック・パインの人間像を作り出したと考えられる。

      
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『鉤』の巻末解説に“間違い”があったので(といっても、その時点では間違いではなかった)、訂正させていただきたい。『鉤』の「映画化権は売れていて、フランス人のエリック・ゾンカが脚色・監督するらしい」と書いたが、じつはフランス人のトマ・ヴァンサンが監督し、ヴァンサンとマクシム・サシエが共同脚色して、Je Suis un Assassin(わたしは殺人者)というタイトルで二〇〇四年夏にフランスで公開されたのだ。この映画版では、役名が変更されていて、ベストセラー作家のブリス・カントール(フランス語読み)が売れない中堅作家ベン・カステラーノに“合作”の話を持ちかけ、妻のリューシー(ルーシーのフランス語読み)を殺してくれと頼むのである。

 この解説を書いている途中で、嬉しいニュースが飛び込んできた。『斧』がついに映画化されたのだ。政治映画『Z』で有名なコスタ= ガヴラスが監督した Le Courperet(肉切り包丁)は〇五年三月にフランスで公開される(コスタ= ガヴラス監督作品だから、たぶん日本でも公開されるだろう)。

      
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 ウェストレイクは二〇〇三年に単発作品 Money for Nothing を発表したあと、〇四年にはドートマンダーもの長編第十一作 The Road to Ruin とドートマンダーもの短編集 Thieves' Dozen(なんと収録作品数は十二編ではなく十一編なのだ!)を上梓した。〇五年四月には単発作品 Watch Your Back! が刊行される予定。そして、リチャード・スターク名義では悪党パーカーもの第二十二作 Nobody Runs Forever を〇四年十一月に刊行した。〇五年初頭には、〇一年刊のパーカーもの第二十作 Firebreak(ハヤカワ文庫)がやっと日本でも紹介される。

 九三年にアメリカ探偵作家クラブ(MWA)からグランド・マスター賞(巨匠賞)を受賞したウェストレイクは、〇四年十月にアメリカ私立探偵作家クラブ(PWA)からアイ賞(功労賞)を受賞した。タッカー・コウ名義で発表したミッチ・トビンもの(『刑事くずれ』ハヤカワ・ミステリ)が六〇年代から七〇年代にかけての私立探偵小説の発展に貢献したことが認められたのだろうか。

 もう一つ、お詫びと感謝を述べさせていただく。「フラッシュバック 2」でジャックがしゃべるシェイクスピアの台詞は、白水ブックス版『ハムレット』(小田島雄志訳)から引用させていただいた。ちゃんと台詞を読めなかったことに関しては、フットボール選手に代わってお詫び申しあげる。

 本書では、酒とドラッグ(とくに、依存性のある鎮静・睡眠剤クワルード)で正気を失った俳優の独り言も含まれていて、支離滅裂な言動も見受けられる。というわけで、訳文の間違いをすべてこの酔いどれ俳優ジャック・パインのせいにしていただければ、翻訳者はべらぼうに喜ぶだろうけど、そんな都合のいい話はないよね。

      
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 最後に“衝撃的かもしれない結末”が待っているので、語り口に騙されないように、注意深く読まれることをお勧めする。

二〇〇四年十二月


これは木村二郎名義で翻訳したドナルド・E・ウェストレイクの『聖なる怪物』(文春文庫、2005年1月刊、750円)の巻末解説であり、自称ミステリー研究家の木村仁良が書いている。ここまで読んだ方は、ぜひ本書を御購入していただければ幸いです。(ジロリンタン、2005年1月吉日)
訂正があります。〇五年刊の Watch Your Back! は単発作品ではなく、〇四年刊の The Road to Ruin に続くドートマンダーものです。ウェストレイクと版元のミステリアス・プレスとの契約では、3作に1作がドートマンダーものになるはずだったので、こういう見当違いが生じました。ごめんなさいね。これに懲りずに、ウェストレイク作品を読んでください。(ジロリンタン、2005年2月吉日)

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