申し訳ないが、創元推理文庫刊の『サイモン・アークの事件簿』はこの第五巻でいちおうひと区切りとなる。アークもの作品集を五巻も出せたことを読者の皆様には心から感謝している。お蔭様で、二〇一二年刊の『サイモン・アークの事件簿IV』が『IN★POCKET』(講談社文庫)主催の文庫翻訳ミステリー・ベスト10のランキングで読者部門第九位に、『本格ミステリ・ベスト10』(原書房)の海外ランキングでも第九位に輝いた。
アークもの全作品を訳出してほしいという要望をいただくが、それが叶えられない大きな理由は、最高の協力者であるエドワード・D・ホックが二〇〇八年に亡くなったこともあり、初期の作品がなかなか入手できないためである。このシリーズが大ベストセラーならば、無理矢理にでも続巻を編纂して刊行するのだが、残念ながら、スティーヴン・キングやダン・ブラウンを脅[おびや]かすほどのベストセラーにはなっていない。
第四巻の巻末解説でもお伝えしたとおり、本書も訳者厳選の作品集である。本書では、一九五〇年代から二編、六〇年代から一編、七〇年代と八〇年代からそれぞれ二編、そして、二〇〇〇年代から一編、合計八編を選んだ。
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では、訳者が選んだ作品を個々に紹介しよう。直訳タイトルより扇情的で、オカルト色をより濃くするために、訳者が勝手な邦題をつけたことをご了承いただきたい。
第一話の「闇の塔からの叫び」(直訳は「叫びの通り」)では、“わたし”は〈ネプチューン・ブックス出版〉の下級編集者であり、珍しく社長に呼び出されて、厄介事処理をサイモン・アークに頼むように直接命じられる。五〇年代後半当時の標準ではきわどい描写もあるが、ホックはけっして下品にならずに、結末を巧みにまとめている。このあと、《ダブル= アクション・ディテクティヴ》は二度も誌名を変更したので、チェックリストには統一性が欠けていることをご承知願いたい。
第二話の「呪われた裸女」の原題を直訳すると「裸の姪御事件」というような意味で、ホック愛読者の皆様にはふさわしくないタイトルに思える。後出のチェックリストを参照していただくとわかるが、原題の The Case of the Naked Niece のうしろ半分は頭韻している。《ダブル= アクション・ディテクティヴ》のほかの掲載作のタイトルもうしろ半分が Sexy Smuggler(セクシーな密輸人)とか、Vanished Virgin(消えた処女)とか、Ragged Rapist(みすぼらしいレイプ魔)とか、Mystic Mistress(神秘的な愛人)というように、押韻するきわどい単語を並べている。五〇年代にはミッキー・スピレイン風のセックスと暴力を描いた私立探偵小説が流行っていて、当時の編集長ロバート・A・W・ラウンズがきわどい内容の私立探偵ものを書いてほしいと要求したと考えられる。本編はアークと“わたし”が実際に私立探偵事務所を構えて、探偵仕事の依頼を受けるという珍しい作品である。
第三話の「炙り殺された男の復讐」(直訳は「黄昏の炎」)は長い中編であり、《ザ・セイント・ミステリー・ライブラリー》(TSML)というペイパーバック・サイズのアンソロジーに収録された。編纂者は聖者サイモン・テンプラーの生みの親、レスリー・チャータリス。「真鍮の街」(第二巻収録)と同様に、長すぎて《ザ・セイント・マガジン》に掲載できない作品はTSMLのほうに収録されたと考えられる。TSML#9には、ホックのほか、ジョージ・フィールディング・エリオット、ジョン・スティーヴンズ、アイヴァー・ソーン、ランジー・シャハニといった忘れ去られている作家の作品も収録されているが、本編はTSML#9のカヴァー・ストーリーになっているエリオットの作品より少しだけ長い。
本編では、“わたし”の略歴の一端がのぞける。第二次大戦直後、”わたし”は〈ネプチューン・ブックス〉で働く週給五十ドルの在庫管理係だった。これはホック自身が第二次大戦後、ニューヨークの〈ポケット・ブックス出版〉で在庫管理係として働いていた経験を基にしている。それでは、ジム・フェイヴァーがやっていた怪しい“副業”について説明しよう。ペイパーバックの売れ残りをそのまま版元に戻すと運送料が高くつくので、表紙だけを剥がし、版元に引き揚げて、売れ残り部数を計算するのが正規のやり方だ。しかし、残った表紙のないペイパーバックを古本屋に安く売りつける業界関係者もいる。アメリカの古本屋でときどき表紙のないペイパーバックや、表紙の誌名部分を切り取られた雑誌をご覧になった方もおられるだろうが、厳密には違法であり、ときおり、その旨を記した警告文をペイパーバックの奥付に見ることがある。
第四話の「シェイクスピアの直筆原稿」(直訳は「失われた巡礼者」)は邦題どおり、ストラトフォード= アポン= エイヴォン出身の詩人の直筆原稿が絡むが、オカルトや悪魔教に関係のない“不思議”な作品である。
第五話の「海から戻ってきたミイラ」は、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロが舞台である。ブラジルの土着宗教とキリスト教が共存している興味深い状況が描かれている。
第六話の「パーク・アヴェニューに住む魔女」は、ダイイング・メッセージが謎解きの大きな要素になっている。いろいろな意味を持つ謎めいた“ダイイング・メッセージ”の絡んだミステリー作品の多くは系統の異なる言語への翻訳に向いていないので、初めのうちは収録しないつもりだったのだが、本書の収録作品を選んでいるときに再読してみて、収録の価値があると考え直した。
第七話の「砂漠で洪水を待つ箱船」には、カリフォーニア州東部の砂漠で箱船を造っている奇妙な男が登場する。“わたし”がアークのことを私立探偵だと説明する箇所があるが、アークの探偵許可証はもう失効しているはずだ。
第八話の「怖がらせの鈴」では、アークと“わたし”はイギリスのサフォーク州ダニッチまで出かける。作品の構成がいつもとは異なることに注目していただきたい。聡明なアークは意味不明の“怖がらせの鈴”の用途について鮮やかに説明する。
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ホックの未亡人パトリシアによると、ホックのほぼすべての既刊短編集が電子書籍として、ミステリアスプレス・コムから出版された(例外はクリッペン&ランドルー[C&L]刊の短編集)。アメリカでずっと昔に刊行されたアークもの短編集三冊の電子書籍版もその中に含まれている。C&Lも自社が刊行したホックの短編集の電子出版を始めている。
電子書籍であれ、次世代の読者のためにも、今まで絶版になっていた短編集が出版されることは、非常に喜ばしい。あとはホックがパルプ・マガジンに発表した入手困難な作品が電子出版されることを切に望むのみだ。
そして、『サイモン・アークの事件簿4』の巻末解説「”わたし”はだあれ?」で重大な誤りをある熱心な読者が見つけてくださったので、ここで訂正して、お詫びしたい。三一二頁の六行目の行頭を、「れるのはこれが三回目[上の3字に傍点]だった。それに合わせ[上の4字に傍点]て、」(字数が同じ!)に訂正していただければ幸いである。《バウチャーコン》がアメリカ以外の国で初めて開催されたのは、一九九〇年のロンドンであった。二回目は一九九二年のカナダのトロントで、三回目が一九九五年のノッティンガムだったのだ。ノッティンガムの《バウチャーコン》の宣伝があまりにも印象深かったので、ずっと一回目だと思い込んでいて、再確認を怠ったことを改めてお詫びする。
それでは、最後に、いつもどおり、サイモン・アーク・シリーズの最新チェックリストを挙げておこう。
[註=完全チェックリストを見たい方は、現物の巻末を参照してください。]
二〇一三年十二月