先頃ハヤカワ・ミステリ文庫より再刊されたエドワード・D・ホックの『怪盗ニック登場』の巻末解説でもお知らせしたように、ヴェルヴェットもの第二短篇集『怪盗ニックを盗め』もここに再刊される運びとなった。
ハヤカワ・ミステリ版『怪盗ニックを盗め』 The Thief Strikes Again(この英語タイトルはたぶん訳者が考えたものだと思う)が日本で独自に編纂及び刊行されたのは、一九七九年(第一短篇集『怪盗ニック登場』の三年後)のことだった。そして、その二十四年後にこの文庫版が再刊されることになったのだ。ハヤカワ・ミステリ版が刊行されたときには、まだ生まれていなかった方、活字を読むにはまだ小さすぎた方、ミステリや読書そのものに興味がなかった方に、買って読んでいただければ幸いである。すでにハヤカワ・ミステリ版を読んだ方の多くは、訳者と同じく、もうストーリーのほとんどを忘れていると思うので、この文庫版も買って再読していただけると、非常に嬉しい。
価値の(ほとんど)ないと思われるものしか盗まない怪盗ニック・ヴェルヴェットについては、文庫版『怪盗ニック登場』の巻末解説をお読みいただきたい。今回は、作者のエドワード・デンティンジャー・ホックについてごく簡潔に説明しよう。
ホックは一九三〇年二月二十二日(ジョージ・ワシントンの誕生日)にニューヨーク州北部のロチェスターに生まれ、そこで育った。ニューヨーク州ロチェスターは五大湖の一つであるオンタリオ湖に臨む町で、イーストマン・コダック本社があることで知られている(ミネソタ州にもロチェスターという町があるので混同しないように注意)。父親のアール・G・ホックは銀行家だった。
小さいときからミステリに興味を覚え、三九年(ホックが九歳のとき)にはCBSラジオで『エラリイ・クイーンの冒険』の放送が始まっていた。十代になると、クイーンのほか、アーサー・コナン・ドイル、G・K・チェスタートン、アガサ・クリスティー、ジョン・ディクスン・カーなどの名作ミステリを貪り読んだ。そして、自分でも短篇ミステリを書き始め、大学時代から雑誌に投稿を始めたが、ずっと断わり状を受け取っていた。
四七年にロチェスター大学に入学したが、四九年に中退して、地元の公立図書館で研究員として働いた(現在はそのロチェスター公立図書館の理事を務めている)。五〇年に陸軍に入隊し、マンハッタン島近くのカヴァナー島に憲兵として配属された。五二年に除隊し、ニューヨークにあるポケット・ブックス出版社の納品調達課で働きながらも、短篇ミステリを書き続けた。五四年には故郷のロチェスターに戻り、ハッチンズ広告会社でコピーライターの仕事に就き、ミステリ専門のパルプ雑誌の一つである《フェイマス・ディテクティヴ・ストーリーズ》五五年十二月号に初めて自分の短篇が掲載された。オカルト探偵サイモン・アークものの「死者の村」(ハヤカワ・ミステリ刊『ホックと13人の仲間たち』収録)がそれである。
そのあとも、広告会社に勤めながら、短篇ミステリを書き続け、《タイトロープ》や《ファスト・アクション》などのミステリ専門誌に作品が載るようになった。現在でも刊行されている二大ミステリ専門誌の一つである《アルフレッド・ヒッチコックス・ミステリ・マガジン》には六二年一月号掲載のノンシリーズ「黄昏の雷鳴」(創元推理文庫刊『夜はわが友』収録)で、もう一つの《エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン》(EQMM)には六二年十二月号掲載のレオポルド警部ものの「港の死」(講談社文庫刊『こちら殺人課!』収録)で初登場した。
《ザ・セイント・ミステリ・マガジン》六七年七月号に発表したレオポルド警部ものの「長方形の部屋」(創元推理文庫刊『サム・ホーソーンの事件簿』収録)でエドガー賞を受賞したあと、広告会社をやめて、執筆活動に専念した。六九年には初めての長篇ミステリ『大鴉殺人事件』(ハヤカワ・ミステリ)を発表した。これはエドガー賞授賞式が舞台で、ミステリ作家バーニイ・ハメットが殺人事件を解決する。
ホックは短篇ミステリの執筆だけで生計を立てている今日では稀少な作家であり、EQMMでは七三年五月号からずっと毎号に作品を載せていて、今では千篇足らずの短篇と八作の長篇を発表している。そのうちの三作は大統領直属のコンピューター検察局もの(ハヤカワ・ミステリ文庫刊『コンピューター404の殺人』など)である。現在のホックはほとんど本名で作品を発表しているが、以前にはスティーヴン・デンティンジャー、R・L・スティーヴンズ、パット・マクマーン、アーウィン・ブース、アンソニー・サーカス、ミスター・X、リサ・ドレイク(トマス・ギフォードとの合作ペンネーム)、R・T・エドワーズ(ロン・グーラートとの合作ペンネーム、ハヤカワ・ミステリ文庫刊『エアロビクス殺人事件』)、マシュー・プライズ(合作ペンネーム)、“エラリイ・クイーン”(ハウスネーム、原書房刊『青の殺人』)、R・E・ポーター(コラム用)というペンネームを使ったことがある。
ホックはノンシリーズの短篇も書くが、大半はシリーズものである。ホックの創造したシリーズ・キャラクターで現在も活躍しているのは、怪盗ニック・ヴェルヴェットのほか、ジュールズ・レオポルド警部、サム・ホーソーン医師、オカルト探偵サイモン・アーク(及びその分身のダーク教授)、暗号解読専門家ジェフリー・ランド、西部探偵ベン・スノウ、ジプシー探偵ミハイル・ヴラドである。最近“復帰”したのはミステリ作家バーニイ・ハメットと、私立探偵アル・ダーランと、デイヴィッド・ヌーン神父の三人であり、インターポールのセバスチャン・ブルーとローラ・シャルム、パロディー探偵サー・ギデオン・パロ、諜報員ハリー・ポンダー、コンピューター検察局のカール・クライダーとアール・ジャジーン、逃亡者追跡官デイヴィッド・ハーパー、詐欺師ユリシーズ・バード、ロリポップ巡査ポール・タワー、未来探偵バーナバス・レックス、少年探偵トミー・プレストン、女性刑事ナンシー・トレンティーノ、諜報員チャールズ・スペイサー、女性警護人リビー・ノールズ、犯罪学者マシュー・プライズは“休養中”なのかもしれない。ハヤカワ・ミステリ刊『ホックと13人の仲間たち』や光文社文庫刊『革服の男』では、ホックのいろいろなシリーズ・キャラクターが勢揃いしているので、参照していただきたい。比較的新しいシリーズ・キャラクターとして、ジョージ・ワシントン将軍直属の諜報員アレグザンダー・スウィフト(時代設定は十八世紀のアメリカ東部)や、百貨店バイヤーのスーザン・ホルト、若いカップル探偵ウォルト・スタントン&ジュリエット・アイヴズ(アガサ・クリスティーのトミイ&タペンスものの現代版)が挙げられる。
ホックは二〇〇〇年にアメリカ私立探偵作家クラブよりアイ賞(功労賞)を、二〇〇一年にアメリカ探偵作家クラブよりグランド・マスター賞(巨匠賞)と、バウチャーコンよりライフ・アチーヴメント賞(功労賞)を受賞した。今もなお、五七年に結婚したパトリシアと一緒にロチェスターに住み、毎年十五篇以上の短篇をミステリ専門誌やミステリ・アンソロジーに寄せている。