怪盗ニック“再”登場

(エドワード・D・ホック『怪盗ニック登場』解説)

怪盗ニック登場  ハヤカワ・ミステリ版『怪盗ニック登場』Enter the Thief が日本で独自に編纂及び刊行されたのは、一九七六年のことだった。そして、その二十七年後にこの文庫版が出ることになった。価値の(ほとんど)ないと思われるものしか盗まない怪盗ニック・ヴェルヴェットに馴染みのない新しい読者には、買って読んでいただければ幸いである。すでにハヤカワ・ミステリ版を読んだ方には、この文庫版も買って再読していただけると嬉しい。何か新しい発見があるかもしれない(例えば、本に千円札がはさんであったり……するはずはないか)。

 作者のエドワード・D・ホックが一九七五年に書いた「序文」で述べているように、七六年当時〈エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン〉(EQMM)を刊行していたデイヴィス出版社が七一年にダイジェスト雑誌サイズで The Spy and the Thief という短篇集を刊行したが、それは暗号解読専門家ジェフリー・ランドものとヴェルヴェットものの短篇をそれぞれ七篇ずつ収録した短篇集であり、厳密にはヴェルヴェットもの単独短篇集とは呼べない。

 ハヤカワ・ミステリ版『怪盗ニックを盗め』の「序文」で、ホックがヴェルヴェットの生い立ちについて述べている。ヴェルヴェットもの第一篇「斑の虎」は六五年暮に書かれ、EQMM六六年九月号に掲載された。六五年に、ホックはEQMMのためにジェフリー・ランドに続く第二のシリーズ・キャラクターを創り出そうと考えていた。ちょうどその頃、イアン・フレミング原作のジェイムズ・ボンド映画が人気を博していて、映画《サンダーボール》が公開され、ボンドものの最後の長篇『007号/黄金の銃をもつ男』が刊行された。それに匹敵するキャラクターを創造するつもりが、違う方向に発展してしまったらしい。

 前出の The Spy and the Thief の「序文」で、編纂者のエラリイ・クイーン(フレデリック・ダネイのほう)がヴェルヴェットの略歴を書いている。ヴェルヴェットは一九三二年三月二十四日、ニューヨーク市に生まれ、グリニッジ・ヴィレッジで育った。幼名は「ニコラス・ヴェルヴェッタ」といい、イタリア系アメリカ人である。父親は地域の政治活動に関与していた(すると、現実世界ではもう七十歳ぐらいになっているはずだが、ホックによると、ヴェルヴェットは四十五歳よりも年を取らないという)。

 五〇年に高校を中退して、陸軍に入隊し、朝鮮戦争(一九五〇〜五三)に参加した。除隊後、ニューヨーク州ウェストチェスター郡のマリーナで働きながら、夜間高校で高校過程を修了した。いろいろな仕事を転々としたあと、ふとしたことから犯罪の道に迷い込んだ(これについては、ヴェルヴェットの前身に当たる男が登場するノンシリーズ短篇「キャシーに似た女」[『夜はわが友』創元推理文庫]を参照。「斑の虎」で「中世美術館からは……を盗んだ」という箇所がある)。そして、価値がほとんどない物を盗むように依頼する人間がいることを知ったのだ。報酬は初めのうち最低二万ドル(危険か困難な仕事なら三万ドル)だったが、七〇年代半ばに二万五千ドルに値上がりし、二十一世紀にはいると三万ドル(高くて五万ドル)に撥ねあがった。仕事中、たいていは本名を使うが、もちろん泥棒とは名乗れないので、物書きとか記者を装って、下見をする。

 ホックが創造するヴェルヴェット像はハンサムで、黒髪、茶色の目、身長六フィート強(約一八三センチ)の男だ。独身で、ロング・アイランド・サウンドを臨む小さな町に恋人のグロリア・マーチャントと同居している。グロリアは初めのうちヴェルヴェットのことを企業コンサルタントだと思い込み、のちに(「将軍の機密文書」参照)政府の秘密諜報員だと思ったが、「昨日の新聞」ではついに泥棒であることを知らされる。今ではしばしばヴェルヴェットと一緒に出かけることもある。ヴェルヴェットのことを「ニッキー」と呼ぶのはグロリアだけであり、ヴェルヴェットとはボート遊びという趣味を共有している。

 ニック・ヴェルヴェットものはもう四十年近くも続いていて、少しずつ状況が変化しているのだが、八三年発表の「白い女王のメニュー」で大きな変化が見られた。ヴェルヴェットの好敵手を創造したのだ。「白い女王」と呼ばれるサンドラ・パリスという女怪盗で、初めは敵対していたが、今では窮地に陥ったときに相手を救ったりするほど親しくなる(しかし、恋愛感情はない)。しかも、「レオポルド警部のバッジを盗め」では、もう一人の人気キャラクターであるあのレオポルド警部が共演するのだ。

 ニック・ヴェルヴェットはホックが創造した数多くのシリーズ・キャラクターの中でも一番人気があると言ってもいいだろう。フランスでは「ニック・ヴェルレーヌ」としてTVのミニ・シリーズになったほどだ。アメリカでもTVシリーズのオプション権がずっと更新されているが、残念ながら、まだこのプロジェクトは実現していない。

          

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 今さら、作者のエドワード・D・ホックについて説明する必要はないだろう。今回は、一九三〇年二月二十二日(ジョージ・ワシントンの誕生日)に、ニューヨーク州北部のロチェスターに生まれ育ったということだけを書いておく。この続きは、もうすぐハヤカワ・ミステリ文庫より再刊される第二短篇集『怪盗ニックを盗め』の巻末解説で述べよう。

 それでは、最後に怪盗ニック・ヴェルヴェット・シリーズのチェックリストを挙げておこう。

          
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《怪盗ニック・ヴェルヴェット・シリーズ・チェックリスト》(*は本書収録)


[註=完全チェックリストを見たい方は、現物の巻末を参照してください。]


[(改訳)は訳者自身の翻訳をハヤカワ・ミステリ版において改めて訳し直したもの。
 (新訳)はすでに翻訳があるものをハヤカワ・ミステリ版において新たに訳したもの。
 (初訳)はハヤカワ・ミステリ版において初めて翻訳したもの。
 文庫版においては、全作品がハヤカワ・ミステリ版の改訳である。
 HMMは《ミステリマガジン》のこと。
 SP= 女怪盗サンドラ・パリス共演。
 ○●で囲んだ数字は収録されている短篇集を示す。]

[コレクション]
|The Spy and the Thief (1971)  エラリイ・クイーン編、暗号解読専門家ジェフリー・ランドもの短篇七篇と怪盗ニック・ヴェルヴェットもの短篇七篇(1、2、4、5、9、10、11)収録 

@Enter the Thief (1976) 『怪盗ニック登場』(ハヤカワ・ミステリ1256→ハヤカワ・ミステリ文庫、日本で独自に編纂) 小鷹信光編、ヴェルヴェットもの短篇十二篇(1、4、7、10、11、12、13、14、17、18、21、23)収録 

}The Thefts of Nick Velvet (1978)  ヴェルヴェットもの短篇十三篇(1、2、3、7、8、15、16、17、19、20、22、23、25)収録(限定版にのみ29を加えた十四篇収録)

AThe Thief Strikes Again (1979) 『怪盗ニックを盗め』(ハヤカワ・ミステリ1342→ハヤカワ・ミステリ文庫近刊、日本で独自に編纂) ヴェルヴェットもの短篇十二篇(2、6、19、22、24、25、26、27、28、29、30、31)収録 

BThe Adventures of the Thief (1983) 『怪盗ニックの事件簿』(ハヤカワ・ミステリ1411、日本で独自に編纂) ヴェルヴェットもの短篇十篇(3、5、9、15、16、20、32、34、37、43)収録 

~The Velvet Touch (2000)  ヴェルヴェットもの短篇十四篇(26、29、30、38、45、48、51、54、57、63、67、70、75、76)収録(限定版にはほかに詐欺師ユリシーズ・バードもの短篇一篇も収録)

[なお、チェックリストを作成するにあたり、毎年更新されるジューン・M・モファット&フランシス・M・ネヴィンズ・ジュニア共編の Edward D. Hoch Bibliography を参照させていただいた。]

二〇〇三年四月

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これは木村二郎が村上博基氏と村社伸氏とともに翻訳したエドワード・D・ホックの短編集『怪盗ニック登場』(ハヤカワ・ミステリ文庫、2003年5月刊、820円)の巻末解説であり、自称ミステリー研究家の木村仁良が書いています。1976年にハヤカワ・ポケットから刊行された怪盗ニックもの第1短編集の文庫版です。27年前に翻訳したものなので、大幅に改訳しています。増刷になるように、皆様方の盛大なご声援をお願いします。第2短編集『怪盗ニックを盗め』のほうも買ってくださいね。(ジロリンタン、2003年5月吉日)

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