ホックはほぼ百の短篇を書く

(エドワード・D・ホック『夜の冒険』解説)

夜の冒険  エドワード・D・ホックは二〇〇八年一月十七日にニューヨーク州ロチェスターの自宅で心臓発作のために亡くなるまで、九五〇篇以上の短篇小説を発表した。ミステリ業界において短篇小説の執筆だけで生計を立てていたのは、ホックだけだった。ホックが亡くなった今では、誰もいない。彼こそ、まさに“現代短篇の名手”にふさわしい作家だろう。
 ホックは怪盗ニック・ヴェルヴェットを初め、サム・ホーソーン医師、ジュールズ・レオポルド警部、オカルト探偵サイモン・アーク、私立探偵アル・ダーラン、暗号解読専門家ジェフリー・ランド、西部探偵ベン・スノウなど、数多くの個性的なシリーズ・キャラクターを主人公にしたパズル・ストーリーの名手として有名だった。しかし、シリーズ・キャラクターの登場しないノンシリーズ短篇も数多く書いたのである。

 初期の頃、ホックはいろいろなジャンルの雑誌に投稿するために、いろいろなタイプの短篇を書いた。ホックの得意とするパズラーはもちろんのこと、私立探偵もの、ホラー、ノワール、SFやウェスタンまで書いたのだ。コーネル・ウールリッチ風のサスペンスものや、ヘンリイ・スレッサーやジャック・リッチー風のツイストものもあった。

 本書『夜の冒険』(原題は The Night People and Other Stories)には、二十篇のノンシリーズ短篇が収録されていて、お馴染みのシリーズもの短篇を期待していた読者の皆さんは驚かれるかもしれない。ホックはパズラーの名手でもあったが、広い意味でのミステリ短篇の名手でもあったのだ。そして、このタイトルを見て、お気づきになった目敏い読者もおられるかもしれない。ホックのノンシリーズ短篇集『夜はわが友』(創元推理文庫)と企画がよく似ているのだ。それもそのはず、出版社は(アメリカ本国でも日本語版でも)異なるものの、本書は『夜はわが友』の姉妹篇なのである。

 本書は二〇〇一年にファイヴ・スターという小さな出版社から刊行された。その出版社は一九九〇年代後半や二〇〇〇年代前半には主に個人短篇集を図書館相手に刊行していたが、現在では長篇のみを刊行している。原書はハードカヴァー版だが、ジャケット・カヴァーがない。本書の収録作品は一九五七年発表の「フレミング警部最後の事件」から七九年発表の「ガラガラヘビの男」まで発表年度順に並べられている。前出の『夜は友だち』はフランシス・M・ネヴィンズ・ジュニアが編纂者で、六〇年代の作品二十二篇を厳選して収録している。一方、本書では、ホック自身が一九五五年から七九年までに発表したノンシリーズ短篇の中からお気に入りの作品をまず三十篇選び出してから、再読して、収録すべき秀作二十篇を厳選した。

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 エドワード・D・ホックはハヤカワ・ミステリ文庫から怪盗ニック・ヴェルヴェットもの短篇集が四巻(『怪盗ニック登場』『怪盗ニックを盗め』『怪盗ニックの事件簿』『怪盗ニック対女怪盗サンドラ』)が出ているし、ハヤカワ・ポケット・ミステリから『ホックと13人の仲間たち』や『密室への招待』という個人短篇集が出ているので、今さら紹介する必要はなさそうだが、“現代短篇の名手たち”の一人として改めて簡潔に紹介しよう。

 エドワード・デンティンジャー・ホックは一九三〇年二月二十二日(ジョージ・ワシントンの誕生日)、ニューヨーク北部のロチェスターで生まれ育った。ロチェスターは〈コダック社〉のある街で、五大湖の一つであるオンタリオ湖に面している。四九年にロチェスター大学を中退して、ロチェスター公立図書館で研究員の仕事に就いた。五〇年に陸軍に入隊して、ニューヨーク市マンハッタンの近くにあるガヴァナー島のフォート・ジェイに憲兵として配属された。五二年に除隊して、〈ポケット・ブックス出版〉の納品調整課で働きながら、短篇ミステリを書いて、複数の雑誌社に投稿していたが、まだ原稿は売れなかった。五四年にロチェスターに戻り、〈ハッチンズ広告会社〉で働きながらも、短篇ミステリを書き続けた。

 初めて売れた短篇が《フェイマス・ディテクティヴ・ストーリーズ》の五五年十二月号に掲載された。それがオカルト探偵サイモン・アークものの「死者の村」(ハヤカワ・ミステリ刊『ホックと13人の仲間たち』や、創元推理文庫刊『サイモン・アークの事件簿I』に収録)だった。そのあとも、広告会社で働きながら、ミステリ雑誌に短篇を発表し続けた。五七年に親友の妹パトリシア・マクマーンと結婚。《セイント・マガジン》六七年七月号に発表したレオポルド警部ものの短篇「長方形の部屋」でアメリカ探偵作家クラブ(MWA)よりエドガー賞を受賞し、専業作家になる決心をした。

 そして、六九年に初めての長篇『大鴉殺人事件』(ハヤカワ・ミステリ)を発表した。エドガー賞受賞式で起きた殺人事件の謎を、元探偵のミステリ作家バーニイ・ハメットが解明する。ホックは長篇をめったに書かなかったが、七一年には『コンピューター検察局』(ハヤカワ・ミステリ)を、七二年には“エラリイ・クイーン”名義で『青の殺人』(原書房)を、七三年にはコンピューター検察局もの長篇第二作『コンピューター404の殺人』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を、七五年には同シリーズの第三作 The Frankenstein Factory を発表した。

 そのほか、八四年にはロン・グーラートとともにR・T・エドワーズという合作ペンネームで(ホックはプロッター、グーラートはライター)マシュー・プライズもの犯人当て懸賞小説『エアロビクス殺人事件』(ハヤカワ・ミステリ文庫/“共著者”のオットー・ペンズラーはパッケージャー)を発表した。八五年刊の同シリーズの第二作 This Prize Is Dangerous はマシュー・プライズ名義で書いたが、この合作ペンネームの相方はグーラートではない。八四年刊の犯人当て懸賞小説 The Medical Center Murders はリサ・ドレイク名義で発表したが、この合作ペンネームの相方はトマス・ギフォードであった。

 二〇〇〇年にはアメリカ私立探偵作家クラブ(PWA)よりジ・アイ賞(生涯功労賞)を、二〇〇一年にはMWAよりグランドマスター賞(巨匠賞)を受賞した。

 ニューヨークに住んでいた短い時期を除いて、亡くなるまでずっとロチェスターに住んでいた。

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 ホックは《エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン》(EQMM)の一九七三年五月号より死後の二〇〇九年三月号まで毎号に(再録も含めて)短篇を発表していた。EQMMには、一九八〇年八月号より八五年三月号までR・E・ポーター名義で、ミステリ評論書や参考書などの情報を伝える〈犯罪巡回区域〉を連載した。スティーヴン・デンティンジャーやR・L・スティーヴンズというペンネームは、雑誌やアンソロジーに二篇以上の作品が掲載されるときに使い、本書収録の「Festival in Black」と「The Empty Zoo」は初出時にデンティンジャー名義で、「知恵の値」は初出時にスティーヴンズ名義で掲載された。アンソニー・サーカス名義はアメリカ秘密諜報員チャールズ・スペイサーものを三篇書いたときに、一度だけ使った。ミスター・X名義は逃亡犯逮捕局のデイヴィッド・パイパー局長ものを書いたときに使用した。

 長篇『青の殺人』や短篇「トナカイの手がかり」(ホック編『風味豊かな犯罪〜年刊ミステリ傑作選76』創元推理文庫収録)は“エラリイ・クイーン”名義で書いた。そのほか、パット・マクマーン(奥さんの名前から)やアーウィン・ブースというペンネームを使ったこともある。

 ホックはアレン・J・ヒュービンのあとを引き継いで、年刊ミステリ傑作選を一九七六年から九五年まで(八二年に版元から〈ダットン社〉から〈ウォーカー社〉に移り、タイトルも Best Detective Stories of the Year から The Year's Best Mystery & Suspense Stories に変わった)編纂した。九六年以後も、エド・ゴーマンとマーティン・H・グリーンバーグが共同編纂する別の年刊ミステリ傑作選やMWA年鑑に死後の二〇〇八年まで鬼籍作家リストを挙げていた。

 ホックはMWAの活動にも積極的だったし、ミステリ関係の集まりでは新人作家やファンとも気さくに話をした。〇八年一月にホックが亡くなった直後は、ホックの死を悼む書き込みが多くのブログで見られた。ホックは作家としてだけではなく、人格者として多くの人たちに慕われていたことがわかる。

 死後出版でもいいから、ホックの一九八〇年代以後のノンシリーズ短篇から厳選した作品集が刊行されることを切に願う。

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 さて、本書に収録された短篇リストを挙げておこう。
・ Inspector Fleming's Last Case (Crime and Justice 1957-01)
「フレミング警部最後の事件」嵯峨静江訳(初訳)
・ The Man Who Was Everywhere (Manhunt 1957-03)
「どこでも見かける男」木村二郎訳(新訳・改題)[初出:「いつも逢う男」《マンハント》六二年五月号]
・ The Passionate Phantom (Off-Beat Detective Stories 1960-05)
「私が知らない女」鳥見真生訳(初訳)
・ The Night People (Web Detective Stories 1961-05)
「夜の冒険」嵯峨静江訳(初訳)
・ Festival in Black(The Saint (UK) 1962-08) スティーヴン・デンティンジャー名義
「影の映画祭」七搦理美子訳(初訳)
・ I'd Know You Anywhere (Ellery Queen's Mystery Magazine [=EQMM] 1963-10)
「くされ縁」田村義進訳(改訳)[初出:アンソロジー『あの手この手の犯罪』ロバート・L・フィッシュ編、ハヤカワ・ミステリ文庫]
・ The Way of Justice (Alfred Hitchcock's Mystery Magazine [=AHMM] 1965-09)
「正義の裁き」漆原敦子訳(初訳)
・ The Empty Zoo (Magazine of Horror 1965-11)スティーヴン・デンディンジャー名義
「空っぽの動物園」大野尚江訳(初訳)
・ Ring the Bell Slowly (The Saint 1966-06)
「静かに鐘の鳴る谷」山西美都紀訳(初訳)
・ Stop at Nothing (AHMM 1967-05)
「やめられないこと」山西美都紀訳(初訳)
・ Another War(AHMM 1967-12)
「もうひとつの戦争」玉木雄策訳(初訳)
・ The Impossible "Impossible Crime" (EQMM 1968-04)
「不可能な“不可能犯罪”」木村二郎訳(改訳)[初出:「不可能な不可能犯罪」《ミステリマガジン》七八年四月号/新訳・改題:「不可能な“不可能犯罪”」、個人短篇集『密室への招待』収録、ハヤカワ・ミステリ]
・ The Way Out (EQMM 1971-04)
「出口」茅律子訳(初訳)
・ The Man at the Top (AHMM 1972-02)
「大物中の大物」漆原敦子訳(初訳)
・ Burial Monuments Three (AHMM 1972-05)
「家族の墓」玉木雄策訳(初訳)
・ The Scorpion Girl (AHMM 1976-10)
「サソリ使いの娘」鳥見真生訳(初訳)
・ The Price of Wisdom (EQMM 1977-02) R・L・スティーヴンズ名義
「知恵の値」真野明裕訳(改訳)[初出:アンソロジー『最後のチャンス〜年刊ミステリ傑作選78』エドワード・D・ホック編、創元推理文庫]
・ Second Chance (AHMM 1977-07)
「二度目のチャンス」喜多元子訳(改訳)[初出:アンソロジー『レディのたくらみ』ミシェル・スラング編、ハヤカワ・ミステリ文庫]
・ Three Weeks in a Spanish Town (AHMM 1978-12)
「スペインの町で三週間」三角和代訳(初訳)
・ The Rattlesnake Man (AHMM 1979-07)
「ガラガラヘビの男」大野尚江訳(初訳)

----一行あけ----
 最後に、エドワード・D・ホックの最新作品集リストを挙げておこう。
[註=作品集リストを見たい方は、現物の巻末を参照してください。]

二〇〇九年十二月


これは木村二郎名義で分担訳をしたエドワード・D・ホックの『夜の冒険』(早川文庫、2010年1月刊、1050円)の巻末解説であり、自称研究家の木村仁良が書いている。ジロリンタンは収録20編のうち2編しか翻訳していないのに、図々しくも筆頭翻訳者になっている。(ジロリンタン、2010年1月吉日)

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