ハンターが街にやって来る

Hunter Is Coming to Town


「失礼、ここはエド・マクベインのサイン会場でしょうか?」二人目の男が尋ねた。

「いや、違う。エヴァン・ハンターのサイン会場だ。わたしが一番乗りだ。わたしのうしろに並びたまえ」一人目の男が答えた。

「でも、エド・マクベインとエヴァン・ハンターは同一人物なんですよ」

「そうらしいが、わたしはマクベイン名義の本は読まないことにしている。ハンターのほか、リチャード・マーステン、ハント・コリンズ、カート・キャノン、エズラ・ハノン名義の小説しか読まない」

「すると、ぼくの抱えている有名な八七分署ものや弁護士マシュー・ホープものを読んでないんですね。もったいないな。ぼくはマクベイン名義の本しか読まないことにしてるんですよ」

「すると、わたしの抱えているハンター名義の有名な『暴力教室』(ハヤカワ・ポケット)とか『去年の夏』(角川文庫)、マーステン名義の『ビッグ・マン』(創元推理文庫)、コリンズ名義の『果てしなき明日』(ハヤカワSFシリーズ)、キャノン名義の『酔いどれ探偵街を行く』(ハヤカワ文庫)、ハノン名義の『街はおれのもの』(ハヤカワ・ノヴェルズ)を読んでいないのか。可哀想に」

「『街はおれのもの』は読みました。ほらっ、マクベイン名義ですから」

「きみの本は最近のペイパーバック版だな。ほらっ、わたしの初版にはちゃんと、エズラ・ハノン著と書いてあるだろう。どうも、最近はかつてマーステン名義で出版された作品がマクベイン名義で再版されるようだな。本名のハンターよりペンネームのマクベインのほうが有名になってしまったのだから、まあ、仕方がないか」

「どういうのがありますかね?」

「きみの持っている Runaway Black (Fawcett, 1954) と Murder in the Navy (Fawcett, 1955) と五五年刊の『湖畔に消えた婚約者』(扶桑社ミステリー)と Even the Wicked (Permabooks, 1958) と五九年刊の 『ビッグマン』の五冊はもともとマーステン名義だ」

「Runaway Black は殺人容疑をかけられた黒人が一晩じゅうニューヨークの街を逃げまわるという話です」 「そう、ハンター得意の“一日もの”だな。下水溝でネズミにかまれるところが無気味だった。さすが、さすが、きみは Murder in the Navy と改題版の Death of a Nurse の両方を持っているな」

「ええ、題名どおり、海軍で若い看護婦が絞殺される話です。マクベインは海軍にいたので、そこを舞台に利用したんでしょうね」

「なんだか古い小説のことばかり話してますね」

「そうか。じゃあ、突然に新しい例を出そう。きみはマクベイン名義の Gangs! (Avon) という八九年版のペイパーバックを持っているな」

「ええ、旧題は Walk Proud といったらしいですね」

「うん、そうだ。ハンター名義の Walk Proud (Bantam, 1979) というタイトルだった。わたしの初版を見てもわかるように、最近のハンター名義としては、珍しくペイパーバック・オリジナルだ。じつは、ハンター自身が脚本を書いた同名映画のノヴェライゼーションなのだ」

「へええ、映画は観てませんね」

「ハンター得意の少年ギャングものだ。しかし、今回はイーストLAのチカノ、つまりメキシコ系アメリカ人の少年ギャングの若者が白人の娘に恋をして、傷つきながら少年ギャングから脱退するという話だ。チカノの主人公を白人のロビー・ベンスンが演じたので、少し違和感があったが、それを除けば、なかなか感動的だったな」

「ええ。でも、どうして再版のときに、わざわざ Gangs! にしたんですかね?」

「これはあくまでも、わたしの推論だ。じつは、Walk Proud が刊行される前の仮題は Gangs! だったんだ。ちょうど、刊行時の一九七九年に、ウォルター・ヒル監督の『ウォリアーズ』という少年ギャング映画が公開され、映画館で少年ギャング同士が騒ぎを起こすという事件があった。それで、騒ぎを助長しそうな Gangs! というタイトルを Walk Proud に変更したんだろうな」

「へええ、ハンターにはどういう新作があるんですか?」

「八〇年代には、Lizzie (Arbor, 1984) を発表した。一八九二年、マサチューセッツ州でリジー・ボーデンが両親を斧で殺した有名な事件を小説にしたんだな。ほかには、Love Dad (Crown, 1981) がある。『黄金の街』(ハヤカワ・ノヴェルズ)や『大人ってなに考えてるのかな』(三笠書房)に続く自伝的小説だ。主人公の娘が付き合うボーイフレンドが名作の書き出しを引用するというのが面白かった」

「へええ、マクベインの八七分署『殺しの報酬』(ハヤカワ文庫)にも、名作の書き出しを暗誦する編集者が登場するんですよ。その編集者が最後に引用するある名作の書き出しはこういうんです。"The building presented a not unpleasant architectural scheme..." という書き出しは、何の作品ですかね?」

「もちろん、ハンターの『暴力教室』(ハヤカワ文庫)じゃないか」

「なるほど、あなたが手に持っておられるハンター名義の Streets of Gold (Harper & Row, 1974) 『黄金の街』(ハヤカワ・ノヴェルズ)と同じタイトルの映画(邦題《ニューヨーク・ベイサイド物語》)が八六年に公開されたんですが、マクベインの八七分署もの『魔術』でその映画をけなしてるんですよ」

「それは面白いな。勝手に同じタイトルを付けたから、気を悪くしただろうな。『黄金の街』はハンター自身が気に入っている小説で、主人公は盲目のジャズ・ピアニスト、ドワイト・ジェイミスンが有名になり、落ちぶれていく話だ」

「へええ、マクベインの八七分署もの『被害者の顔』にも盲目のピアニストが登場するんですよ」

「そのあとに、もう一つ、Far from the Sea (Antheneum, 1983) という自伝的小説がある。父親の死を病院で見届けるという話だ。ところで、その上のほうにある McBain's Ladies (Mysterious, 1988) というのは何だね?」

「これは、八七分署ものに顔を出す女性五人が登場する場面をシリーズの中から引用してるんですよ。スティーヴ・キャレラ刑事の妻テディ、バート・クリング刑事の恋人クレア・タンゼンドとオーガスタ・ブレア、クリングと仲良くなる女刑事のアイリーン・バークの五人です」

「もう一冊同じようなのがあるな。McBain's Ladies Too (Mysterious, 1989) というタイトルだから、さっきの続編かな?」

「いいえ、姉妹編でして、こちらには悪女七人が登場する場面が引用されているわけですよ。『凍った街』の妊娠した売春婦、『人形とキャレラ』の麻薬常習の女、『カリプソ』のクロエ・チャダートン、『幽霊』のヒラリー・スコット、『八頭の黒馬』のネイオミ・シュナイダー、『死が二人を』のウーナ・ブレイク、『殺意の楔』のヴァージニア・ドッジの七人です」

「なんだ、オリジナルじゃないのか。この The McBain Brief (Arbor, 1983) というのは何かな?」

「短編集ですよ。合計で二十編収録されています」
「ちょっと待て。おいおい、ここに収録されているのは、ハンター、マーステン、コリンズ名義の短編ばかりじゃないか。ハンターの短編集『ジャングル・キッド』から「初犯」、「ちいさな事件」、「暴発」、ラスト・スピン」、もう一つの短編集『歩道に血を流して』から「囚人」を再録しているぞ。そのほかは、《プレイボーイ》とか《ジェネシス》、という男性雑誌や、《マンハント》に発表して短編だ。ハンターよりマクベインのほうが有名だからって、不公平だよな。マクベイン名義では短編を書かないのかい?」

「八七分署ものでも、『空白の時』は三つの中編を収録したものです。《ヒッチコック・マガジン》や《アーゴシー》、《ミステリー・マンスリー》に掲載した中編は、長編の抜粋版にすぎません」

「ハンターの短編でも長編の一部に使うことがある。《プレイボーイ》に発表された Jazzing in A Flat はあとで『黄金の街』の一部になったし、『ジャングル・キッド』収録の「壁」は明らかに『暴力教室』の原型だ。ハンター名義の短編があとでマクベイン名義の長編に使われたという例はないのかね?」

「じつはあるんですね。《プレイボーイ》に掲載されたハンター名義の Sebastian the Cat というのを覚えておられますか? あれはマクベイン名義のホープ弁護士もの一作目『金髪女』の一部だったんですよ。ハンターはほかにどんな作品を発表してますか?」

「Nobody Knew They Were There (Doubleday, 1971) は、一九七四年に暗殺者が大統領を暗殺する準備をする話だ」

「八七分署もの『われらがボス』を読んでもわかるように、マクベインはある政治家を嫌ってましたからね」

「そのほか、Buddwing (Simon & Schuster, 1964) は記憶喪失の男の一日を描いた話で、またもや、ハンターお得意の“一日もの”だな」

「変なタイトルですね」

「うん、記憶喪失の男がバドワイザー・ビールの広告と上空を飛ぶ飛行機の翼(ウィング)を見て、自分にバドウィングという名前を付けるんだ。ジェイムズ・ガーナー主演で映画化されている」

「ハンターの作品で映画化されたものは、ほかに何かありますか?」

「一番有名なのが『暴力教室』だな。五五年当時は、あまりにもセンセーショナルなので、公開禁止になった地方もあったらしい。映画に初めてロック・ミュージックが使われたことでも有名だな。ビル・ヘイリーの主題歌《ロック・アラウンド・ザ・クロック》が大ヒットした」

「それは、映画《アメリカン・グラフィティ》でも使われてましたね」

「それに、《逢うときはいつも他人》だ。カーク・ダグラスとキム・ノヴァック共演の不倫物語だ。ハンターが脚本も担当した」

「そう言えば、マクベインの八七分署もの『警官(さつ)』の映画版《複数犯罪》の脚本も、マクベインじゃなくて、ハンターが担当してました」

「たぶん、脚本家協会にはエヴァン・ハンターとして登録してあるんだろうな。それに、ハンターはダフニー・デュ・モーリアの『鳥』をヒッチコックのために脚色したことでも有名だな。ハンター原作のほかの映画は、『若い野獣たち』の映画版《明日なき十代》という少年ギャングものと、《去年の夏》という青春ものがある」

「ハンター名義のとくに珍しい本は持ってこられましたか?」

「ハンターのもう一つの作品集 The Easter Man (Doubleday, 1972) は珍しい。表題作の戯曲一編のほか、六編の短編が収録されている。The Easter Man というのは、ニューヨークのイースト・ヴィレッジに住むジャズマンの話で、この戯曲は実際に公演されたことがある」

「どうして、それが珍しいんですか?」

「ハンターの著作の中でペイパーバック版で再刊されていないハードカヴァーは、今のところこれだけだ。おやっ、きみのうしろに変な男が近づいてきたぞ」

「おい、ここがカート・キャノンのサイン会場かよ?」三人目の男が言った。


 これは木村二郎が『ミステリマガジン』一九九〇年十二月号に寄稿した会話型式によるエッセイの改訂版である。同号にハンター名義の短編「サルジニア事件」が訳載された。のちに、その短編は「インタヴュー」と改題されて、マクベイン名義の短編集『逃げる』(ハヤカワ・ポケット)に収録された。これも2021年刊の会話型式によるエッセイ集『おれってハードボイルド探偵なの?』に収録したかったエッセイなのだが、3年前には見つからなかった原稿を最近になってやっと見つけたのだ。(ジロリンタン、2024年5月吉日)

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