Hara Ryo Sleeps the Big Sleep

なぜか気になる作家----原りょう

《原りょう氏追悼文》

 原りょう氏が今年五月四日に亡くなってから、エッセイ集『ミステリオーソ』(ハヤカワ文庫)を今さらながら初めて読んで、なぜ原氏のことが気になるのか自分なりに考えてみた。年月と場所はまったく異なるが、原氏とおれには共通点が少なくとも四つあった。

 1、兄の影響で、高校時代に長い通学時間のあいだ電車内で翻訳ミステリを多く読んでいた。2、兄の影響で、中学時代からジャズをよく聴いていて、ときおりジャズを演奏していた。3、大学時代からヨーロッパ映画や犯罪映画をしょっちゅう観ていた。4、一九九〇年前後に“売り物”としての小説を初めて見せた相手は、当時の『ミステリマガジン』編集長・菅野圀彦氏だった。

 原氏と初めて会ったのは、沢崎もの長篇一作目『そして夜が甦る』が出たあとの一九八八年の夏頃だったと思う。場所は東京の高田馬場にあるビッグボックス内の喫茶店だったと思う。目的は、当時おれが主宰していた〈マルタの鷹協会〉の例会ゲストに招待する段取りを話し合うためだった。

 その例会で原氏が話していた次作『私が殺した少女』が翌年に刊行され、直木賞を獲得した。「欠点だらけの稚拙さが魅力」と、おれは生意気にも評した。そのあと、〈マルタの鷹協会〉の会員が選出するファルコン賞も受賞して、ファルコン木彫像を抱えた写真を送ってくださった。

 原氏に最後に会ったのは、二〇一八年刊の『それまでの明日』のサイン会が持たれた大阪梅田の紀伊國屋書店だった。「新鮮味はあまりないが、人物描写やプロット進行が安定している」と、おれは偉そうなコメントを書いた。あまり色気のない私立探偵小説だなあ、というのがシリーズ全体の正直な感想である。

 原りょう氏の長篇小説をけなしてばかりいるように思われるだろうが、それでも新作が出るたびに買って読んでいるということは、説明できないほどの心地よい魅力がどこかにあるんだろうね。
(2023/07/04、作家・ミステリ研究家)


2023年5月4日に亡くなった原りょう氏の1周忌が近づいているので、『ミステリマガジン』2023年9月号に木村二郎名義で寄稿した追悼文である。原氏の追悼文は木村二郎が編集庶務係を務めている《マルタの鷹フライヤー》に寄稿するつもりだったが、『ミステリマガジン』の元編集長であり、原氏の編集担当者・千田宏之氏に『ミスマガ』9月号に追悼文を寄稿してほしいと頼まれた。雑誌1頁分の追悼文だったが、重要な最後の一言を2、3度書き直した。この追悼文につけたタイトル・ロゴは、《フライヤー》掲載の追悼小特集に使ったものである。《フライヤー》のほうには、別の角度から客観的な追悼文を書いた。(ジロリンタン、2024年5月吉日)


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