怪盗も歩けば警官に当たる
(エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事5』解説)
わあ、もう第五巻だ。
本書『怪盗ニック全仕事5』には、一九八九年から九六年までに発表されたニック・ヴェルヴェットものの短編が十四編収録されていて、改訳(旧短編集の新訳を含め、訳者自身の翻訳を改めて訳し直したもの)が四編と、新訳(すでに翻訳があるものを本書の訳者が新たに訳したもの)が一編と、初訳(初めて日本語に翻訳したもの)が九編ある。
巻末解説では、いつものように、収録作品に注釈を加えてみよう。
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第六十話の「クリスマス・ストッキングを盗め」は、たぶん怪盗ニックもの初めてのクリスマス・ストーリーではないだろうか。掲載誌の《エラリー・クイーンズ・ミステリー・マガジン》(EQMM)は九〇年代前半、十二月号のあとに十二月中旬号(クリスマス号と見なしてもいい)を刊行していたのだ。毎年の十二月中旬号は半分近くクリスマス・ストーリーだった。
クリスマス・ストーリーの特徴は、もちろん、主な季節設定が十二月のクリスマス・シーズンであることのほか、季節の雰囲気を感じさせるために、クリスマスツリーやサンタクロースなどの小道具が登場することにある。さらに、クリスマス精神を謳うために、登場人物がいつもより善意に満ちた行動を取ったり、不可能に思われるような奇蹟が起こったりする。
じつは怪盗ニックがクリスマス・ストーリーに向いている重要な理由がある。本編で、「あんたはいつもクリスマス当日に人の家を訪ねるのかい?」とある人物が尋ねると、「サンタクロースのようにね」とニックが答える。“サンタクロース”の名前は“聖(セント)ニコラス”が変化したもので、ニックはニコラスの短縮形なのである。
第六十二話の「ビンゴ・カードを盗め」では、ニックとグロリアは豪華客船に乗る。九〇年前後には豪華客船で〈ミステリー・クルーズ〉というパッケージ旅行が多く企画された。九〇年二月に、ホック夫妻は同じくミステリー作家のビル・クランショーたちと一緒に〈ヌーアダム号〉に乗船し、当時のEQMM版元のデイヴィス社が主催する〈ミステリー・クルーズ〉に参加して、ミステリー愛読者たちとの親交を深めた。ホックはそのときの経験を生かして、本編を執筆したのだろう。
第六十三話の「レオポルド警部のバッジを盗め」はかなり長い短編である。タイトルどおり、ホックのもう一人のシリーズ・キャラクターであるレオポルド警部が登場する。そのうえ、ニックの泥棒仲間になったサンドラ・パリスも登場するのである。
ホックが九〇年代前半に、数多くいるシリーズ・キャラクターを共演させた例が三つある。本編のほか、サム・ホーソーン医師と西部探偵ベン・スノウが共演した「呪われたティピーの謎」(『サム・ホーソーンの事件簿「』創元推理文庫収録)と、英国諜報部の暗号解読専門家ジェフリー・ランドとジプシー探偵ミハエル・ヴラドが共演した The Spy and the Gypsy の三つだ。
第六十四話の「幸運の葉巻を盗め」では、グロリアの兄アーニーが第四巻収録の「消えた女のハイヒールを盗め」に続いて再登場する。本編では、ポーカー・ゲームの場面が出てくるが、ゲームそのものはプロットにあまり関係がない。重要な専門用語は話の中で説明があるが、付け加えるなら、ワイルド・カード(ジョーカーのように、ほかのどのカードの代用にもなるカード)、ホール・カード(裏向きのカード)、アップ・カード(表向きのカード)、ポット(プレイヤーたちが賭け金をプールする共有の中央スペース)の意味は知っておいたほうがいいだろう。
第六十九話の「二十九分の時間を盗め」には、元ニューヨーク市警刑事のチャーリー・ウェストンが久しぶりに登場する。第一巻収録の「真鍮の文字を盗め」ではニューイングランド地方マサチューセッツ州イーストブリッジ市警の窃盗課の警部補になり、第二巻収録の「くもったフィルムを盗め」では〈全国宝石協会〉の特別調査員になり、第四巻収録の「白の女王のメニューを盗め」ではニュージャージー州アトランティック・シティーのカジノ警備部長になり、本編ではルイジアナ州ニューオーリンズ市警の警部補として現われるのだ。
第七十話の「蛇使いの籠を盗め」には、第六十七話の「禿げた男の櫛を盗め」に続いてサンドラ・パリスが登場する。「例の総選挙以来ね」とサンドラが言うのは、かつての南アフリカ連邦(現在の南アフリカ共和国)がアパルトヘイト(人種隔離政策)を九四年に廃止したあと、黒人がやっと選挙権を得た総選挙のことだ。現代世界史に残るこの重大な出来事をリアルタイムでご存じないと思われる若い読者にお伝えする次第である。
第七十一話の「細工された選挙ポスターを盗め」には、サム・クリードと言う前科者が登場して、「おめえ(ニック)の親父と一緒のムショにいたんだ」と言う。えっ、ニックの父親が刑務所にいたことは初耳だぞ。第一巻収録の「聖なる音楽を盗め」では、「(ニックの)父親はイタリア人の商店主で、禁酒法廃止の数カ月前(一九三三年)に、ギャングスターの十字砲火に遭って死んだ」はずじゃなかったっけ? この矛盾は本編のプロットには関係しないので、どちらが正しくてもいいのだが、たぶんホック自身も約二十五年前に書いたことを忘れていたのだろう。架空の世界におけるこういう矛盾に関しては、矛盾の説明がない限り、最初の記述が正しいと見なさなければ、それまでの記憶が無意味になってしまう。
第七十二話の「錆びた金属栞を盗め」は第六十六話の「サンタの付けひげを盗め」に続くクリスマス・ストーリーである。これは〈ミステリアス・プレス〉の出版人でもあるオットー・ペンズラーが所有・経営するミステリー専門書店〈ミステリアス・ブックショップ〉の得意客にクリスマス・プレゼントとして配っていた小冊子のため、九五年にホックが書き下ろした怪盗ニックものである。ストーリーの条件は、季節がクリスマス・シーズンであることと、当時ニューヨークの西五十六丁目にあったその専門書店と店主ペンズラーを書き込むことだった。
その書店が開店したのは七九年四月十三日の金曜日という“縁起のいい”日に開店だったので、現役では最古のミステリー専門書店だ。この解説子はオープニング時にニューヨークに在住していたので、出席しているはずだが、その書店で開かれたほかの多くのパーティーに出席したので、申し訳ないが、そのときの記憶があまりない。むしろ、開店準備期間中に作家のドナルド・E・ウェストレイクやブライアン・ガーフィールドが書店の書棚を作っていた光景のほうが強く印象に残っている。
九〇年代のニューヨークには、数軒のミステリー専門書店があったが、今ではここだけになり、二〇〇五年にはミッドタウンからトライベカ地区のウォーレン・ストリートに移転した。
本編はEQMM九八年一月号に再録され、〈ミステリアス・ブックショップ〉発行のほかのクリスマス小冊子用ストーリーを集めたペンズラー編纂のアンソロジー Christmas at the Mysterious Bookshop が二〇一〇年にヴァンガード社から刊行された。メアリ・ヒギンズ・クラークやエド・マクベイン、アンドリュー・クラヴァン、S・J・ローザンなどの有名作家によるクリスマス・ストーリーが収録されている。
訳者はEQMM版を基に翻訳していたのだが、ある箇所の台詞がどうしても理解できなかったので、初出元の小冊子を書棚の奥から引っ張り出してきて、その箇所を比べてみると、納得がいった。EQMM版は一行半ほど抜けていたのだ。その小冊子は緋色の表紙で、サイズがちょうど本文庫より少しだけ小さくて、正味二十ページの長さである。
本編では、その書店で「ミステリー作家のローレンス・ブロックが翌日……マット・スカダーものの最新作にサインすること」になっていた。この最新刊のタイトル名は明記されていないが、たぶん九四年刊の『死者の長い列』(二見書房)のことだろう。そして、ペンズラーがあけた小包の中には、スー・グラフトンの『アリバイのA』(ハヤカワ文庫)の新品同様の初版本がはいっていた。二〇一七年十二月に亡くなったグラフトンの女性探偵キンジー・ミルホーンものは今ではベストセラーだが、八二年に刊行されたときの一作目は、初版部数が少なかったので、今では稀覯書になっていて、新品同様ならペンズラーの見立てどおり、「一千ドルの価値はある」はずだ。この解説子もどこかに持っているはずだが、たぶん新品同様の状態ではない。
そして、第七十三話の「偽の怪盗ニックを盗め」(第二巻収録の「怪盗ニックを盗め」とけっして混同しないように!)では、ニックがついにガールフレンドのグロリアを「内縁の妻」と紹介したぞ。
さあ、次の『怪盗ニック全仕事6』は最終巻になる。その翻訳準備をしているときに、衝撃的かもしれない重大な矛盾点を見つけたのだ。その内容は第六巻で明らかになるので、ぜひ首をダチョウのように長くしてお待ちいただきたい。
ということで、最後にいつものとおり、ニック・ヴェルヴェット・シリーズの最新チェックリストを挙げておく。
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[註=完全チェックリストを見たい方は、現物の巻末を参照してください。]
二〇一八年二月
これは木村二郎名義で翻訳したエドワード・D・ホックの『怪盗ニック全仕事5』(創元推理文庫、2018年3月刊、1300円+税、電子書籍もあり)の巻末解説であり、自称研究家の木村仁良が書いています。次巻の『怪盗ニック全仕事6』で終わりますので、全作品を読んでいただけましたら幸いです。(ジロリンタン、2018年3月吉日)
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