これであなたも再就職ができる

(ドナルド・E・ウェストレイク『斧』解説)

斧  

本書『斧』The Ax (Mysterious Press, 1997) は、不運な泥棒ジョン・ドートマンダーものでもないし、ドタバタ小説でもない。しいて言えば、風刺小説かブラック・コメディーというところだろうか。  

ドナルド・E・ウェストレイク(DEW)の作品だから、本書を読めば、きっと、げらげら、くすくす笑えるだろうと思っていたのに、「オー、ノー、ちっともおかしくないぞ」と憤慨する方がいるかもしれないので、先にお断わりしておく。くすっと笑える箇所があるかもしれないが、抱腹絶倒するほど笑えるわけではない。リチャード・スターク名義で発表していいほどシリアスな小説なのだ。  

さて、本書のタイトルにそっくりなタイトルにエド・マクベインの八七分署もの長編『斧(おの)』(原題 Ax)がある。マクベインの『斧』では被害者が斧で殺されるのだが、DEWの本書では被害者たちは誰も斧で殺されていない。英和辞典で調べればわかるとおり、ax(イギリス綴りは axe)には「斧」という意味が一番先に出てくる。スラング辞典で調べると、ジャズ用語でもともと「サックス」という意味だったのが、「楽器」一般を指すようになったという(ax と sax が押韻するからか、斧とサックスの外観が似ているからだという説がある)。  

スラング辞典にも載っていない意味もある。ビート詩人ジャック・ケルアックの死後一九七一年に刊行された Pic という小説では、I axed him という文がしょっちゅう出てくる。「彼を斧で殴った」という意味ではない。I asked him(彼に尋ねた)という意味である。そう、南部の黒人少年である「ぼく」は ask の k と s を逆に発音したわけだ(日本語で「舌鼓」を「したづつみ」と読むのと似ているかな?)。ビリー・クリスタルとロバート・デニーロが共演した映画『アナライズ・ミー』で、犯罪組織の幹部に変装した精神科医役のクリスタルが、わざと I axed you と言う場面があった(ギャングスターらしく教養がないところを暗示するためなのだろう)。そう言えば、DEWが九三年に発表したドートマンダーものに Don't Ax というのがあった。いや、Don't Ask(早川文庫近刊)だったかな?  

前置きが長くなってしまった。本書に使われる ax の話に戻ろう。英和辞書にも書いてあるように、「斧で切る」から転じて、「クビにする」「解雇する」という意味もある。「リストラ」(再構築)とか、「人員削減」とか、「規模縮小」(英語で「ダウンサイジング」)とか、口当たりのいい婉曲的な言葉を使っているが、率直に言うと「クビ切り」である。  

一口で言うと、本書は、解雇を言い渡された主人公バーク・デヴォアが再就職するために、ライヴァルたちを次々に殺していくという小説である。この「解説」やあらすじや書評を読んだだけでは、本書の雰囲気は絶対に伝わらないだろう。ぜひ、本書を手に取って、中身を読んでいただきたい。  

本書の献辞を受けたDEWの父親アルバート・ジョゼフ・ウェストレイクは、ニューヨーク州政府の会計士だった。三〇年代の大恐慌を生き延びた父親たちの世代は、現代と同じく「規模縮小」や「人員削減」にいつも直面していたのだろう、とDEWは考えている。ちょうど、DEWの友人に、銀行で「再訓練プログラム」を運営している女性がいて、その女性から聞いた話が本書のアイディアに結びついたらしい。

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ここで、DEWこと、ドナルド・エドウィン・ウェストレイクについて簡潔に紹介しよう。一九三三年にニューヨーク市ブルックリン区で生まれた(父親はアルバートで、母親はリリアン。そして、ヴァージニアという妹がいる)。ニューヨーク州のヨンカーズや州都オルバニーで育ち、ニューヨーク州立大学のプラッツバーグ校、トロイ校、ビンガムトン校に通ったが、三年生で中退した(しかし、九六年にビンガムトン校より名誉博士号を授かったのだ)。  

大学中退後、スコット・メレディス文芸代理店の閲読係や、《ミステリー・ダイジェスト誌》の編集者をしながら、ミステリーやSFやソフト・ポルノ(アラン・マーシャル、エドウィン・ウェスト、シェルドン・ロードなどのペンネームを使った)を書き始めた。  

一九六〇年に『やとわれた男』(早川ポケット)を発表し、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)よりエドガー処女長編賞にノミネートされて、「ダシール・ハメットの再来」として将来を期待された。そのあと、『殺しあい』『361』『その男キリイ』と、ハメット風の「ハードボイルド」小説を次々に発表したが、六四年刊の『憐れみはあとに』でサスペンス小説を書いたあと、六五年刊の『弱虫チャーリー、逃亡中』(いずれも早川ポケット)で突然コミック・ミステリーに方向転換した。そのあとのDEW名義の作品はほとんどコミック・ミステリーである。  

しかし、その一方で、リチャード・スターク名義で非情な強盗パーカーを主人公にした強奪小説を六二年よりシリーズ化していたのである。第一作『悪党パーカー/人狩り』(早川ポケット↓早川文庫)は六七年に『殺しの分け前/ポイント・ブランク』というタイトルで映画化され、リー・マーヴィン主演のその映画は六〇年代を代表するフィルム・ノワールとして評価されている(九九年公開のリメイク『ペイバック』にはメル・ギブソンが主人公の“ポーター”に扮した)。  

このシリーズは七四年刊の第十六作『殺戮の月』(早川ポケット)まで続いたあと、二十三年のブランクを経て、九七年刊の『エンジェル』(早川文庫)でついにカムバックを果たした。そのほか、『襲撃』『カジノ島壊滅作戦』『殺戮の月』で脇役を務める俳優強盗アラン・グロフィールドが主役を張るシリーズが四作(早川ポケット刊『俳優強盗と嘘つき娘』など)ある。  

六六年から七二年まではタッカー・コウ名義で刑事くずれのミッチ・トビンを主人公にした私立探偵ものを五作(早川ポケット刊『ヒッピー殺し』など)執筆したが、DEWが二番目の妻サンドラと離婚したため、終結した(五作ともサンドラに捧げられている)。アメリカでは、このトビンものが約三十年ぶりに再刊されている。八六年から八九年まではサミュエル・ホルト名義で俳優探偵サム・ホルトを主人公にした素人探偵ものを四作(二見文庫刊『殺人シーンをもう一度』など)発表した。  

DEW名義で一番有名なのは、不運な泥棒ドートマンダーが登場する一連の作品だろう。七○年に発表した『ホット・ロック』(角川文庫)は悪党パーカーもののコミック版として執筆したが、DEW自身、シリーズになるとは考えてもいなかった。そのあと、七二年に長編第二作『強盗プロフェッショナル』、七五年に第三作『ジミー・ザ・キッド』と書き続けて、安定したシリーズになった。今では、シリーズがマンネリに陥らないように、三作に一作しかドートマンダーものを執筆しない。  

というように、DEWは正統的な私立探偵小説(ミッチ・トビンもの)から、サスペンス小説(『憐れみはあとに』)、ハードボイルド小説(『やとわれた男』)、強奪小説(悪党パーカーもの)、パズラー小説(サム・ホルトもの』)、コミック・ミステリー(『嘘じゃないんだ!』)、パロディー(J・モーガン・カニンハム名義)、政治陰謀小説(ティモシー・J・カルヴァー名義)、SF(カート・クラーク名義)、ソフト・ポルノ(エドウィン・ウェスト名義)まで、いろいろなサブジャンルの小説(長編、短編)を書き分ける多才な多作家である。そのうえ、ジム・トンプスン原作の『グリフターズ』(扶桑社文庫)を脚色して、アカデミー脚色賞にノミネートされるほどの有名な脚本家でもある。DEWのモットーは、自作をなるべく脚色しないということらしい。  

現在、三番目の妻アビーとニューヨーク州北部のギャラティンという村(十二軒しかない)に住んでいる。豚を飼っているらしく、この筆者はローレンス・ブロックのマット・スカダーものに登場するミック・バルーの農場を想像した。本書を読んで見当をつけた方もいらっしゃるだろうが、DEWはインターネットにアクセスしている。そのうえ、自分で公式ウェブサイトも設立したのだ。一年半前までは手動式タイプライターとファックスを使っていたDEWも、「過渡的技術」にうまく順応できたようだ。  

二〇〇〇年には、本書と同じような暗い雰囲気の単発作品 The Hook(文春文庫近刊)と、悪党パーカー復帰第三作 Flashfire を発表した。The Hook では、売れない作家プレンティスがスランプに陥ったベストセラー作家プロクターに自分の作品を売って、印税を分けることになるのだが、その取り引きには、高額の慰謝料を要求しているプロクターの妻を始末するという条件がついている。  

二〇〇一年には、ドートマンダーもの長編 Bad News と悪党パーカーものの Firebreak が刊行される。それにドートマンダーもの長編『最高の悪運』(早川文庫)の映画版(マーティン・ローレンスとダニー・デヴィート共演)が公開される。

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PL法が施行されたので、ここで警告を発しておきたい。本書のバーク・デヴォアが就職口を手に入れる方法は非常に効果的ではあるが、良い子の皆様には絶対に真似をしないでいただきたい。でも、この世の中に良い子なんて、あまりいないんだよね。

二〇〇一年一月
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これは木村二郎名義で翻訳したドナルド・E・ウェストレイクの『斧』(文春文庫、2001年3月刊、667円)の巻末解説であり、自称研究家の木村仁良が書いている。増刷になるように、皆様方の盛大なご声援をお願いします。(ジロリンタン、2000年3月吉日)

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